イチローフィーバー鳴り止まぬ日々に
実に三週間ぶり以上ですw
この三週間内に、何をしていたというわけでもないのが、ミソ。
忙しいときのほうが更新したりするんですよね、ジッサイ。
それにしても、ここまでくると、ブログをつけるという習慣をすっかり忘れておりました。
てか、今日書き込もうとしたら、ブログのIDを忘れていて、3回やり直した・・・
この話題には触れずにきたのですが、ひと段落して踊り場にいる今、やっぱりちょっと書いてみましょうか。
ストライキの週末が終わり、セ・リーグのペナントが決まり、パ・リーグのプレーオフが佳境を迎え、とかつてない盛り上がりを示した球界だけど(内容はどうあれ、野球のことがこんなに人々の話題に上ったのは、実に30年ぶりぐらいじゃないだろうか)、何度も書いている通り、野球のテレビ観戦すらしなくなっている僕にとっては、さしたる影響もない。
だから、この問題でことさらに噴き上がっているわけではないし、かしましいだろうと予想される各種ブログなども一切見ていない。せいぜい、スポーツ紙と全国紙の記事と社説を軽くチェックしてたぐらいのものだ。
といっても、つまり、いくら野球には関心が「ないことにしている」とはいっても、労働運動/社会運動としての今回の事件に関しては、ちょっと思ったことを書いておこうかな、と。
読売の社説とかは予想通り酷かったけれど、まあこれは予想通りで、噛み付く必要もないでしょう。
むしろ今回気になるのは、夕刊紙お得意の全方位叩きだね。当然のようにオーナーの頑迷さと経営感覚のなさを攻撃した返す刀で、「高給取りのストライキ」をぶった斬り、最後っ屁に、そんなストライキを手放しで賞賛するファンを揶揄する。
でも、それはどうなんだろう。
むしろ今回は、フリーランスの高給取りが、必ずしも短期的な意味での自分自身の所得向上にはつながらない「労働運動」を先導した、ってことこそが、象徴的に重要な意味を持ったんじゃないだろうか?
言うまでもないことだけど、近鉄とオリックスが合併しようが、古田はでんでん困らない。彼が解雇されることもなければ、それが原因で年俸が下がることもない。
これは古田だけじゃなくて、選手会の役員になっていた各チームの主力選手(もちろん近鉄の磯部も含む)も同じこと。
あの大阪→東京→名古屋と古田の移動に合わせて行われた「労使交渉」を、合併に伴う解雇・リストラに反対した団体交渉と額面どおり捉えるなら、そこで直接に被害をこうむる可能性があるのは、近鉄とオリックスのしょぼいプレーヤーなわけですよね。
労働待遇改善は、「自己責任」による「キャリアアップ」によってなされるべきものと信じられて久しいこのネオリベラルの時代に、絶え間ない自己陶冶を続けるフリーランス・ワーカーの象徴であり、わかりやすい勝ち組であるプロスポーツ選手の、しかもトップ・スターたちが、自分たちに直接関係のないボンクラな選手たちの雇用を確保するために、古めかしい「組合」の語彙を使いながら、団交をする・・・ (もしかしたら、その交渉の過程で、サラリー・キャップ制のような、トップ選手自身の利益を阻害する方向性が出てきてもおかしくないにもかかわらず。)
この絵面は、一般に思われているよりも結構画期的だと思う。
集合行動が原理的に不可能になりつつある"Liquid"なこの後期近代に、まだ労働運動という古典的な集合行動が、何らかの集団的な利益を求めた目的を達成し得る余地があること、これを瞬間的にとはいえ示せた意義は、かなりでかい。そう評価していいと思う。
少なくとも、トップ選手たちが、自らの待遇改善を求めてゴネにゴネた90年代半ばのメジャーリーグのストライキとは、比べようもない。
金融業界にたとえて言ってみれば、何億も稼ぐようなディーラーたちが中心になって、統廃合によってリストラされる行員を救うべく、統合反対の運動を起こして、経営者側からなんとか代替案を引き出したようなもんだからね。一般社会から考えたら、どれだけありえないことをやったか、ということです。
それが、野球界という、特殊な注目を集める戦場だったからこそ、何とかあそこまで漕ぎつけることができた。それに対して、「一般社会じゃありえないようなことをしやがって、球界は甘ったれてる」と悪態をつくよりは、「こんな闘いかたもアリなんだ」と括目する方が、よほどご自身のためだと思いませんか?>夕刊紙を読んでる労働者のみなさま。
まあ、もちろんあの一連のストライキは、労働運動という土俵でやらなければならなかったから、雇用確保という論理を組み立てざるをえなかったわけだけど、もちろん、それはとってつけたお題目で、本来的に目指していたことは、合併反対・リーグ縮小反対そのものだろう、というのは、その通り。
でも、それを一般ファンにどうこう言われる筋合いはないわけですよ。
何せ、「合併反対・リーグ縮小反対」という目的は、野球ファンという消費者にとっての利害。だから、以前主張したこととも一部かぶるけれど、本来であれば「消費者運動」としてやるはずのことを(そして、最近ではJチームのサポが手探りの中でなし得ていることを)、古田さんたちが代わりに戦ってくれたというのが、今回の基本的な構図。
だから、本当に野球が好きな人たちなら、自分たちが有効な消費者運動を起こすことができなかったことをトップ選手たちに恥じ入るべき、というぐらいの巨大な借りができちゃった、ってのが本当のところじゃないのかな。
じゃあ、正直どんな消費者運動がありえたか、というか、現時点ではまあありえないんだけど、どんな方向に持っていったら野球でも消費者運動が可能になるか・・・というと、やっぱりJリーグのサポーターはかなりモデルになるだろう。
おらが町のチームを、ファン=消費者自らの「モノ」として、守り、育て、そして口も出す。こう言ってしまえば単なる理想論に終わりがちな消費者参加型のモデルが、どんな場合に可能になるかと一言で言ってしまえばそれは、「ショボい試合を見守り続けるという行為を、思い入れとコミットメントで代補する」ということに尽きるわけだよね。
「経営」の論理と別の地平で、おらが町のチームを育てて行こうとするならば、それは必然的に、そのチームには大したコンテンツが揃わないことになる。平たく言えば、いい選手はみな流出して、残されたチームは、弱くてショボイものになる。
でも、チームへのコミットメント/インボルブメントがあれば、ショボいプレーを見させ続けられることに何とか耐えることもできる。アーセナルのプレーは確かに華麗で見ていて魅了されるけれども、本当に熱くなれるのは、自分の生活そのものが巻き込まれてしまっているおらが町のJFLチームのショボいプレー・・・
これは、ロンドンやマドリードやミュンヘンに産まれつくという幸運に恵まれなかった世界中のフットボール・ファンが持っている感覚と、そっくり同じモノでしょう。(たった10数年で、曲りなりもここまで漕ぎつけることを可能にした、「Jリーグ100年計画」のコンセプトを、基地外扱いされながらも唱えつづけた川淵氏というのは、何のかんの言って、ものすごく大人物だと思う)
今回の野球界の件で言えば、何も近鉄ファンだけがショボいプレーに耐えるべきだという訳ではない。
大半が赤字球団である12球団という枠組みを存続するという形で、経営的観点だけに囲い込まれない球界というものを構築していこうと本気で言うのなら、メジャーリーグという金銭感覚の狂った世界が同じ惑星に存在する以上、日本球界全体から、やっぱり一時的には選手がどかどか流出するのはやむを得ない。
しかし、その「しょぼさ」を、ファン=消費者自身自らが納得づくで選び取ったものならば、経営者に与えられた1リーグ8球団にそれ相応のプレーを見せていただくよりも、よっぽど熱くなれるんじゃないか、ということだ。
別にメジャーリーグ的スペクタクルから、完全に背を向けろと言っているわけではない。
前にW杯のときに書いたことだけど、ロンドンで知り合いになった、イタリア半島南端のカラブリア州、そのまた南端の小さな町から来た留学生は、セリエCの地元チームを最も実存をかけて応援し、セリエAでは同州にあるレッジーナをなかなかの実存をかけて応援し、しかし優勝争いやヨーロッパ・レベルではプレイスタイルの好きなユヴェントスを贔屓にしていた。これがイタリアの田舎町のサッカー好きの、標準的なあり方だという。
それに倣えば、四国独立リーグのしょぼいチームを実存をかけて応援し、ペナントレースでは阪神に熱狂し、同時にマリナーズの外野手の華麗なバットコントロールに酔いしれるということも、充分に可能なわけだし、むしろとても自然な行為なわけだ。
野球ファンという巨大なマジョリティ層に、そんな行動と意識が根付いていくとしたら、この国の資本への向き合い方であるとか、地方分権であるとかという、喫緊の課題も、ずいぶんいい方向に転がって行くと思うのだが・・・というのは、長くなるからまた別の話。
まあね、でもこれはすべて自戒を込めて。
生まれてこの方住んでる町に、最下位をひた走るサッカーチームがあるのに、そっちはスポーツニュースを見るだけで済ませちゃって、チャンピオンズ・リーグはしっかり夜更かしして見るわけだからね、自分。
愛着を生じさせうるコミットメントへの障壁はやはり、「時間」と「根性」だーね。











Recent Comments