October 07, 2004

イチローフィーバー鳴り止まぬ日々に

実に三週間ぶり以上ですw
この三週間内に、何をしていたというわけでもないのが、ミソ。
忙しいときのほうが更新したりするんですよね、ジッサイ。

それにしても、ここまでくると、ブログをつけるという習慣をすっかり忘れておりました。
てか、今日書き込もうとしたら、ブログのIDを忘れていて、3回やり直した・・・

この話題には触れずにきたのですが、ひと段落して踊り場にいる今、やっぱりちょっと書いてみましょうか。

ストライキの週末が終わり、セ・リーグのペナントが決まり、パ・リーグのプレーオフが佳境を迎え、とかつてない盛り上がりを示した球界だけど(内容はどうあれ、野球のことがこんなに人々の話題に上ったのは、実に30年ぶりぐらいじゃないだろうか)、何度も書いている通り、野球のテレビ観戦すらしなくなっている僕にとっては、さしたる影響もない。
だから、この問題でことさらに噴き上がっているわけではないし、かしましいだろうと予想される各種ブログなども一切見ていない。せいぜい、スポーツ紙と全国紙の記事と社説を軽くチェックしてたぐらいのものだ。

といっても、つまり、いくら野球には関心が「ないことにしている」とはいっても、労働運動/社会運動としての今回の事件に関しては、ちょっと思ったことを書いておこうかな、と。

読売の社説とかは予想通り酷かったけれど、まあこれは予想通りで、噛み付く必要もないでしょう。
むしろ今回気になるのは、夕刊紙お得意の全方位叩きだね。当然のようにオーナーの頑迷さと経営感覚のなさを攻撃した返す刀で、「高給取りのストライキ」をぶった斬り、最後っ屁に、そんなストライキを手放しで賞賛するファンを揶揄する。

でも、それはどうなんだろう。
むしろ今回は、フリーランスの高給取りが、必ずしも短期的な意味での自分自身の所得向上にはつながらない「労働運動」を先導した、ってことこそが、象徴的に重要な意味を持ったんじゃないだろうか?

言うまでもないことだけど、近鉄とオリックスが合併しようが、古田はでんでん困らない。彼が解雇されることもなければ、それが原因で年俸が下がることもない。
これは古田だけじゃなくて、選手会の役員になっていた各チームの主力選手(もちろん近鉄の磯部も含む)も同じこと。

あの大阪→東京→名古屋と古田の移動に合わせて行われた「労使交渉」を、合併に伴う解雇・リストラに反対した団体交渉と額面どおり捉えるなら、そこで直接に被害をこうむる可能性があるのは、近鉄とオリックスのしょぼいプレーヤーなわけですよね。
労働待遇改善は、「自己責任」による「キャリアアップ」によってなされるべきものと信じられて久しいこのネオリベラルの時代に、絶え間ない自己陶冶を続けるフリーランス・ワーカーの象徴であり、わかりやすい勝ち組であるプロスポーツ選手の、しかもトップ・スターたちが、自分たちに直接関係のないボンクラな選手たちの雇用を確保するために、古めかしい「組合」の語彙を使いながら、団交をする・・・ (もしかしたら、その交渉の過程で、サラリー・キャップ制のような、トップ選手自身の利益を阻害する方向性が出てきてもおかしくないにもかかわらず。)

この絵面は、一般に思われているよりも結構画期的だと思う。
集合行動が原理的に不可能になりつつある"Liquid"なこの後期近代に、まだ労働運動という古典的な集合行動が、何らかの集団的な利益を求めた目的を達成し得る余地があること、これを瞬間的にとはいえ示せた意義は、かなりでかい。そう評価していいと思う。
少なくとも、トップ選手たちが、自らの待遇改善を求めてゴネにゴネた90年代半ばのメジャーリーグのストライキとは、比べようもない。

金融業界にたとえて言ってみれば、何億も稼ぐようなディーラーたちが中心になって、統廃合によってリストラされる行員を救うべく、統合反対の運動を起こして、経営者側からなんとか代替案を引き出したようなもんだからね。一般社会から考えたら、どれだけありえないことをやったか、ということです。
それが、野球界という、特殊な注目を集める戦場だったからこそ、何とかあそこまで漕ぎつけることができた。それに対して、「一般社会じゃありえないようなことをしやがって、球界は甘ったれてる」と悪態をつくよりは、「こんな闘いかたもアリなんだ」と括目する方が、よほどご自身のためだと思いませんか?>夕刊紙を読んでる労働者のみなさま。


まあ、もちろんあの一連のストライキは、労働運動という土俵でやらなければならなかったから、雇用確保という論理を組み立てざるをえなかったわけだけど、もちろん、それはとってつけたお題目で、本来的に目指していたことは、合併反対・リーグ縮小反対そのものだろう、というのは、その通り。

でも、それを一般ファンにどうこう言われる筋合いはないわけですよ。
何せ、「合併反対・リーグ縮小反対」という目的は、野球ファンという消費者にとっての利害。だから、以前主張したこととも一部かぶるけれど、本来であれば「消費者運動」としてやるはずのことを(そして、最近ではJチームのサポが手探りの中でなし得ていることを)、古田さんたちが代わりに戦ってくれたというのが、今回の基本的な構図。

だから、本当に野球が好きな人たちなら、自分たちが有効な消費者運動を起こすことができなかったことをトップ選手たちに恥じ入るべき、というぐらいの巨大な借りができちゃった、ってのが本当のところじゃないのかな。

じゃあ、正直どんな消費者運動がありえたか、というか、現時点ではまあありえないんだけど、どんな方向に持っていったら野球でも消費者運動が可能になるか・・・というと、やっぱりJリーグのサポーターはかなりモデルになるだろう。
おらが町のチームを、ファン=消費者自らの「モノ」として、守り、育て、そして口も出す。こう言ってしまえば単なる理想論に終わりがちな消費者参加型のモデルが、どんな場合に可能になるかと一言で言ってしまえばそれは、「ショボい試合を見守り続けるという行為を、思い入れとコミットメントで代補する」ということに尽きるわけだよね。

「経営」の論理と別の地平で、おらが町のチームを育てて行こうとするならば、それは必然的に、そのチームには大したコンテンツが揃わないことになる。平たく言えば、いい選手はみな流出して、残されたチームは、弱くてショボイものになる。

でも、チームへのコミットメント/インボルブメントがあれば、ショボいプレーを見させ続けられることに何とか耐えることもできる。アーセナルのプレーは確かに華麗で見ていて魅了されるけれども、本当に熱くなれるのは、自分の生活そのものが巻き込まれてしまっているおらが町のJFLチームのショボいプレー・・・
これは、ロンドンやマドリードやミュンヘンに産まれつくという幸運に恵まれなかった世界中のフットボール・ファンが持っている感覚と、そっくり同じモノでしょう。(たった10数年で、曲りなりもここまで漕ぎつけることを可能にした、「Jリーグ100年計画」のコンセプトを、基地外扱いされながらも唱えつづけた川淵氏というのは、何のかんの言って、ものすごく大人物だと思う)

今回の野球界の件で言えば、何も近鉄ファンだけがショボいプレーに耐えるべきだという訳ではない。
大半が赤字球団である12球団という枠組みを存続するという形で、経営的観点だけに囲い込まれない球界というものを構築していこうと本気で言うのなら、メジャーリーグという金銭感覚の狂った世界が同じ惑星に存在する以上、日本球界全体から、やっぱり一時的には選手がどかどか流出するのはやむを得ない。
しかし、その「しょぼさ」を、ファン=消費者自身自らが納得づくで選び取ったものならば、経営者に与えられた1リーグ8球団にそれ相応のプレーを見せていただくよりも、よっぽど熱くなれるんじゃないか、ということだ。

別にメジャーリーグ的スペクタクルから、完全に背を向けろと言っているわけではない。
前にW杯のときに書いたことだけど、ロンドンで知り合いになった、イタリア半島南端のカラブリア州、そのまた南端の小さな町から来た留学生は、セリエCの地元チームを最も実存をかけて応援し、セリエAでは同州にあるレッジーナをなかなかの実存をかけて応援し、しかし優勝争いやヨーロッパ・レベルではプレイスタイルの好きなユヴェントスを贔屓にしていた。これがイタリアの田舎町のサッカー好きの、標準的なあり方だという。

それに倣えば、四国独立リーグのしょぼいチームを実存をかけて応援し、ペナントレースでは阪神に熱狂し、同時にマリナーズの外野手の華麗なバットコントロールに酔いしれるということも、充分に可能なわけだし、むしろとても自然な行為なわけだ。

野球ファンという巨大なマジョリティ層に、そんな行動と意識が根付いていくとしたら、この国の資本への向き合い方であるとか、地方分権であるとかという、喫緊の課題も、ずいぶんいい方向に転がって行くと思うのだが・・・というのは、長くなるからまた別の話。

まあね、でもこれはすべて自戒を込めて。
生まれてこの方住んでる町に、最下位をひた走るサッカーチームがあるのに、そっちはスポーツニュースを見るだけで済ませちゃって、チャンピオンズ・リーグはしっかり夜更かしして見るわけだからね、自分。
愛着を生じさせうるコミットメントへの障壁はやはり、「時間」と「根性」だーね。

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August 27, 2004

胸クソ悪い

と言えば、みなさんご存知のこのニュース。

ドーピング再検査のアヌシュが引退表明

こういうニュースを聞くと、日本も弱いもの苛めが大好きな最悪な大国の一角になったんだなぁ、と感慨しきり。
宜野湾では何もできないくせにね。

ドーピング検査について一くさりぶてるほどの知識はないが、素人目には、どう見てもこれ難癖でしょう。
アヌシュって、単にドーピング違反でメダル剥奪された円盤投げの選手と同じコーチについてたってだけの話で、正規のドーピング検査を完全にクリアしてるわけだから。

こういう無理筋をゴリ押しできちゃうところが、大国の政治力である。

しっかし、JOCの竹田閣下もこんな難癖よく恥ずかしげもなく提出したね。華族様のすることじゃないよ。
(まあ、竹田家は、知ってる人はよく知ってる息子君もアレなのだが)

それか、やるんならせめて、第三国に提出させるぐらいの工作はできなかったのかね。
ヤクザ公卿になろうってんなら、岩倉具視卿ばりの寝技の一つもできないと、恥をかくだけである。

こんな難癖に対して、アヌシュが引退表明をしたのは、当然の矜持だ。
日本人の一員として、本当にお詫びしたい気持ちでいっぱいです。

僕は、ブダペストとその近郊に3泊4日したに過ぎないが、ブダペストはヨーロッパの中でも最もお気に入りの町の一つ。「ヨーロッパ行こうと思うんだけどどこ行こうかな」と僕に相談し、「ブダペスト行きなよ~」と薦められた方も、一人や二人ではない(w
美味しい料理とスイーツ。湯煙の漂う艶やかな町並みと、さまざまな血の混交が作り上げた麗しい女性たち。そして、ウィーンとヴェネツィアとイスタンブールとベルリンとモスクワとを等距離の磁場として形成された、周縁であるが故の中心性を備えた文化。

そんなところに育ったハンガリー人は、語学の天才でもある。世界で最も難しい言語の一つに数えられるハンガリー語(言語学的には、周囲から隔絶されたウラル語の島である)を操る彼らには、ロシア語とドイツ語と英語をすべてマスターすることなど、一般常識らしい。
東大でも一人後輩がいたし(もちろん素晴らしい美形だった)、上智に一年だけいたというハンガリー人にもブダペストで出会ったが、彼らは、ほかの留学生からはちょっと考えられないぐらいのレベルの(欧米系はもちろん、アジア系と比べても)流暢な日本語を話していた。

この語学能力を見ても分かるとおり彼らは、言うまでもなく、真の意味での--生き残るための--「国際感覚」を、何世代にもわたって蓄積してきた国民である。
そんな小国の金メダリストに、銭で買った政治力を背景に、イチャモンをつける極東の華族様。恥ずかしいねぇ。醜悪だねぇ。

個人的には、またのんびり再訪したいと思っていたハンガリーに、しばらくは恥ずかしくて行く気にならないのが悲しい。
恥ずかしいぐらいで済めばいいけど、この一件が、失業率高いかの地に少なからず存在するネオナチのみなさま方に、格好のガソリンを投下してしまっていたんだとしても、文句は言えまい。

それにしても、竹田閣下は、「現場からアヌシュを疑問視する声が上がっている」と仰っていたようだが、ルーマニア人の母を持つ室伏が、本当にこんなことを望んでいるのだろうか?
ちょっと信じがたいが、もし本当だとすれば、それはアスリートの性なのか、それとも、「国民」という顔の見えない人々の無責任な落胆に追い詰められた末の呻きなのか。
いずれにせよ、まだまだ続く彼の競技人生で、この騒動を後悔する日が来ないことを、切に願う。とても悲観的に、だが。


もうひとつ胸糞の悪い・・・野球に関しては、もう何も言いますまい。
masa-nさんも、沈黙を守っているし。言葉を紡ぎだす気力すらも起こらないんだろーね)
まあ、収穫と言えば、何度ブラジル人の友人から聞かされてもピンと来なかった、W杯で惨敗したときのブラジル人の気持ちが、ちょびっとだけでも分かったことかな(笑)

にしても、「金メダル以上のものがいくつかあります」なんてどの口が言うんだ、って感じだよ。

結局のところ、予選と親善試合を経ても、ホームランで点を取って先発ピッチャーが逃げ切るという巨人と同じ勝ちパターンしか作れなかった、チーム作り。
真剣に五輪を獲りたいと思っていたファンが「天佑」と思った脳卒中で倒れてなお、居座り続けた鉄面皮(長嶋さん、このときまではあんたのことを、ナベツネにおもちゃにされて可哀想にと多少は考えていたが、やっぱりあんたは同罪だったよ・・・)。
指揮官不在ゆえに、ほとんど新味の出せなかった本番の選手選考。何の戦略もろくなスカウティングもなく(そりゃあベンチの中心にいるのは、監督経験もない腰巾着だけなんだからなぁ)、「9連勝する」ことしか考えずに望んだオリンピック本番。
その、オリンピックという舞台をバカにしていると思われても仕方のない体制で臨んだチームを、「長嶋ジャパン」と持ち上げ続けるマスコミ・・・

これで勝てるほうがおかしい。
というか、冷静に考えると勝てなくてよかったのかもしれない。

でもね。
やっぱり金メダルを獲って欲しかったんだ。
読売と長嶋のおもちゃにされたチーム、と悪態をつきながらも、圧倒的な強さを見せて欲しかったんだ。

このサイトでも何度か書いてきたように、僕は昔は結構な野球好き(巨人ファン)だったが、ここ2~3年は野球そのものにほとんど何の関心もない。
イギリス時代にブランクが空いたということもあるんだけど、主たる理由は、巨人が応援なんてできるわけがないチームに成り下がり、しかし、今更他チームのサポートをするのも筋が通らない以上、野球そのものに関心を失うしかなかった、ということなんです。

でも、今回のオリンピックは結構野球見てましたよ。山本ジャパンより真剣に。
思えば、無意識裡に、彼らの活躍が自分の中に辛うじて残っている野球愛の燃えカスに、再点火してくれることに、一縷の望みをもっていたのかもしれない。

その最後の契機が、これで断たれた。
当面野球を見ることはないでしょう。

案外、こういう気分の人、少なくないんじゃないかな?

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August 21, 2004

狂ったようにメダルとってますね

そろそろ前半戦も終わりますが、人並みにアテネ楽しく見てまつ。

開幕当初は、日本の「メダルラッシュ」が無性に嬉しいものですよね。僕もそうです。
競泳だの、柔道だの、お世辞にも普段から特段注目している競技でもないし、オリンピックのときでさえ、スポーツニュースでダイジェストを見る程度なのにね。
(まあ、中高水泳部の自分が言うのもなんだが、オリンピックの競泳をかじりつきで見たのなんて、ジャネット・エヴァンス@ソウル五輪ぐらいのもんだね。あのちょっと宮崎萬純似のキュートな笑顔には萌え死んだ。当時は、あの辺ツボでしたね~)

なんでしょうね、これ。
言うまでもないんですけど、ナショナリズムなんてものですらないですよね(笑)
何となくスクリーンの中から街の中まで、共通の話題でワサワサするのが、景気がよくって何だか好きっていうか。W杯のときも、一時のお祭り騒ぎのネタになりゃダイヒョーでもベッカム様でもなんでもいいっていう空気があったけど、まあそんな感じですかね。

そうやって、黄金色や赤銅色をしたアスリートたちの艱難辛苦の結晶は、職場や友人たちの間での夏の挨拶として消費されていくわけだけど、これがまた金メダル8~9個あたりから、まあなんとすごい勢いで多幸感の限界効用が逓減していくこと(笑)
谷・野村から始まった柔道の荒稼ぎに、当初ははしゃいでいたみなさんも、重量級にさしかかったあたりから、「あーまた取ったんだ」ぐらいのリアクションになってませんか、みなさん(笑)
ホントまあ、国民という名の消費者は性質の悪いことですよね。

それにしても、日本の柔道選手という人種ほど可哀想なアスリートもいないのではないかと思う。

確か、女子63kg級の谷本が金メダル取ったときだと思うけど、「いま表彰台で何を思いますかね」みたいなヌルいアナウンサーの問いかけに応じて、解説の吉田秀彦が、「金メダルを胸につけた日本の柔道家は、日本に帰ってくるまでは、とにかくほっとしているだけですよ」と言っていた。まさに実感なんだろう。

それにしては、日本の柔道家には、それだけの無責任な国民からのプレッシャーに見合う収入はもちろん、名声もない。
オリンピック報道が本格化するまで、ほとんどの国民の知っていた現役の柔道家って谷亮子だけだったんじゃないだろうか? あとはせいぜい井上康正と野村忠宏の金メダリストたちがそこに加わるぐらいで、鈴木桂治あたりだって知ってたらかなり通の部類だろう。女子柔道の横沢由貴や上野雅恵なんて、メダル取る以前から名前だけでも知っていた人がどれだけいるでしょう?
そんで、プレッシャーに耐えてメダル取ったからって、百万単位の報奨金が出ておしまい。その後の人生の最大の出世で、東海大の教授ってところでしょう? 世界の頂点に立ったって、「1億ぐらいの端した金じゃどうにもならない」と喚いていた中村修二センセが手にしたものとは、比較するのもおこがましいぐらい雲泥の差なわけです。

W杯の一次リーグで敗退したヴェロンやジダンにはそりゃとんでもない罵声が浴びせられますけど、彼らにはそれだけの収入も名声もありますからね。
「勝って当然」という空気のあった荻原健司あたりだって、確かに収入はそんな無かったでしょうけど、プレッシャーを受けるようになったのは、金メダリストとしてそれなりの注目を集めるようになってからで、アルベールビルの表彰台でいきなり「喜ぶより先にほっとした」なんてわけじゃない。彼の場合だってプレッシャーは、ある意味名声(と、それに付随するCMその他の副収入、そして後の比例の公認 笑)の対価であったわけです。

今回で言えば、谷亮子や井上康正はそれと同じような立場だったからまあ仕方が無いとも言えるだろうけど、塚田や谷本のような、オリンピックが始まるまで誰も名前を知らなかったような選手でも、「国技」だの「お家芸」だのという無責任な言葉のせいで、表彰台の一番上で「ほっとする」ことしか許されないと言うのには、いくらなんでも理不尽さを感じます。
韓国のテコンドー選手なんていうのも、そんな息苦しさを感じているんだろうな、やっぱり。

そういうことをつらつら考えていると、対照的な柔道人生を歩んだ末に、いま奇しくもプロレスと総合のリングで全く違う色の大輪の花を咲かせている小川直也と吉田秀彦に迫ったこの文章、涙なしでは読めません。
(今までのは実は全部前フリで、この二つの感動的な格闘技評論をみなさんに読んでいただきたかっただけなのです。「ハッスル、ハッスル」に眉根をしかめるあなたに、今だからこそ)

「プロに徹した小川の凄み(上)」
「吉田、ハッスルに宣戦布告(上)」

男にも女にも、あなたにも私にも、一生に一度、必ずハッスルしなければいけないときがある。
オイオイオイオイ、全然ハッスルしてねえじゃねえかよ、
オラ行くぞ、3、2、1、ハッスル!ハッスル!

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April 10, 2004

久々に「噴きあがって」はいる私ですが

人質事件以外のウェブもチラホラ覗いてはおります。今日のJリーグは見なかったけどね。

Dear KAZU カズへの手紙。 (Number) - goo スポーツ

トルシエとカズがこんなに高く評価しあっていたというのは、端的に驚いた。
カズゆかりのサッカー関係者に、彼宛の手紙形式の記事を書かせて、カズに返信させるというこの企画は、全体的にとても面白い。ナンバーという雑誌が、いいほうに転がった(最近では珍しい?)好企画だ。人選も渋い(「ジェノバダービーを戦った」という縁でグーリットに頼んだのは無理筋だったが)。ユーリッチ(クロアチア時代のチームメイト、元横浜マリノス)とのやり取りにも、感じるところがある。
自分も30代に足を突っ込んで、少しこういうのに対する感じ方も変わってきたか。

サッカーといえば、フォローできてなかったが、今週半ばのチャンピオンズ・リーグ準々決勝にはたまげた。
ポルト、デポルティーボ、モナコ、チェルシーの4強って、チャンピオンズ・リーグの一次リーグの組み合わせにしたっておかしくないぐらいの地味な顔ぶれではないか。それかUEFAカップの4強。

レアルを追い出されたモナコのモリエンテスが、古巣(正しくはレンタル元だが)相手に大立ち回りを演じたのには、アンチ・メジャー、反独占資本とこぶしを突き上げて快哉を叫びたくなる気分がなくはないが、だがしかし。シェヴァもヴィエイラもネドヴェドもラウルもニステルローイもロナウジーニョもいないCLの大詰めに、単純に「今年はつまんねーなー」と感じてしまう素直な自分がいるのも事実。資本はかくも、身体的な快楽に浸透しているのだ。これを「イデオロギー」で断ち切ろうとするのは難しい、というか、この身体的な快楽を「イデオロギー」で断ち切ろうとすることをすなわち、ファシズムと呼ぶ。

願わくばせめて、中途半端にスタンフォード・ブリッジのチーム・アブラモビッチが優勝することのないように。どうせ贔屓のヴェロンは故障中だしね。
僕がバーミンガムにいた当時は、デサイーとルバフの鉄壁(だったんだ、これが)コンビにデシャンが加入し、ゾラとT.フローの史上最大凸凹ツートップになぜかウェアが割り込む(こいつはサッパリだった)という時代で、結構好きなチームだったのだが。そういや、アストン・ヴィラを破ってFAカップを取ったのはちょっとムカついたっけな。

なんとなくポルトが優勝するような気がするな、今年は。優勝の暁には、お気に入りのマヌエルでポートワインでも飲むか。
あ、そのころには程なくEURO2004も始まるのか。できすぎだな、こりゃ。

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