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August 12, 2006

ワーキング・プア? III

アップしようと思ったら保存してない文章がすべて飛んでやる気を失っておりました。
ここまで間隔があくともういいよ、って感じだけど、しつこく書きます。
「貧しくとも暮らせる空間」の確保と再構築について。

「貧しくとも暮らせる空間」というと、なんと言っても最初に、住宅のことを考えなきゃいけない。
「住む場所」というのが基本であり、一番金かかるところですわ、そりゃ。

しかし、「貧しい」人たちがいないことになっていたこの国で、80年代以降まともな低所得者向けの住宅供給という発想があっただろうか?

市営団地、県営団地がある?
そうゆうのはみんな、家族持ちか、単身なら高齢者か障害者しか入れないじゃないか。いま多くの公営団地が、年寄りと家族で来日するブラジル人で占められつつあるのは、当然の結果である。
「金がないから家族を形成できない」と政府の白書にも明示されている時代に、ちょっとこれはずれ過ぎてやしないだろうか?

確かに日本では、経済的に自立できない若年層が親と同居するというパラサイト・シングル状況が続き、それゆえに「貧しさ」が顕在化するのが引き伸ばされてきた。しかし、山田昌弘さんも指摘するように、パラサイト・シングルがかじるすねも、この5年で急速にやせ衰えつつある。

欧米の都市関係の諸学問や政策の関心の焦点には、ほぼ必ず、低所得者向けの住宅供給(イギリスでは時に"Project"と呼ばれる)というのが入っていて、この種の分野で海外の研究者と話すとき、結構話がかみ合わないことがある。
パリの郊外でも、ロンドンのドックランズでも、低所得者向けの公共住宅には、移民の二世・三世が多くすみ、実質的に貧しい有色移民のゲットーとみなされている。それが昨年末のパリの暴動の背景で、いまこのゲットー化状況をどうするか、というのが関心の焦点だけど、日本の場合はそれ以前に、ゲットー化する基盤となるハード供給すらまともになされていないという、お寒い状況と言うべきだろう。

じゃあ、プライベートな住宅ストックに頼るしかない「貧しい人たち」は実際どこに住んでいるのか?
まずは、都心外周部に堆積している「銭型金太郎」的な築うん十年の木造賃貸アパートということになるのだろうが、そうゆうところこそ、いま「都市再生」の圧力に最もさらされている。が、都市再開発に関する批判は数あれど、再開発により地価と家賃が高騰し、低所得者が都市に住めなくなる、というような視点での批判は、日本には驚くほど少ないように思う。
この辺にも、日本と欧米の関連分野の意識の違いというのを感じていて、欧米でジェントリフィケーションというと、まずはこの低所得者の住宅問題に関する議論が中心となる。これは自戒を込めてだが、日本でジェントリフィケーションの議論をしている人は、商業地域のオサレ方向への再開発を視野に入れている場合が多い。
先日の朝日新聞の「1000ユーロ世代」(なぜか記事が見当たらないので、紹介エントリにリンク)なんかを読んでも、確かにイタリアと日本は状況が似ているのかもしれないが、「1000ユーロ世代」が普通にハウスシェアをしているのに比べて、日本ではぜんぜんそういう習慣は一般的でない。だとすると、ジェントリフィケーションによる低所得者に対する破壊的な効果は、本来日本のほうが欧米よりもずっと激しいはずだ。

もっと路上に直で近いところも見る必要がある。
それは、いわゆる「寄せ場」のバブル期以降の変化だ。

いま、山谷も釜ヶ崎も、もはや「日雇い労働者の町」ではなく、「生活保護とホームレスの町」になっていることはよく知られている。しかし、こうした町や、上野や天王寺などの近隣の公園で、爆発的にホームレスが増え始めたのは90年代前半。それは世代的には、おっちゃんたちのボリュームゾーンがまだ、探そうと思えば日雇い仕事を探せるぐらいの時期であった。

その原因を、西沢晃彦さんは、傑作『隠蔽された外部』の中で、バブル期に簡易宿泊所(いわゆるドヤ)が軒並み改装され、一気に値段が引き上げられたからだ、と論じている。
やたらに仕事があったバブル期に、ドヤはビジネスホテル化し、個室になってコインエアコンがついた代わりに、今までの一泊500円前後が、いきなり一泊2000円以上になった。好況のときはそれでもみんなそこで寝泊りできたが、バブルがはじけて仕事にあぶれるようになると、とてもビジネスホテルで寝泊りなどできず、多くの日雇い労働者が路上に析出されていったというのだ。

それでは、ビジネスホテル経営者のほうも、稼働率が下がり、大変困る。だから今では、釜ヶ崎でも山谷でも、ネット戦略を充実させて外国人バックパッカーや貧乏出張者を顧客にするか、あるいは、おっちゃんらの生活保護費を丸がかえした「福祉マンション」としてちょっとエグイ安定経営を目指すか、、というように二極化しているそうだ。


この辺の政策を考えるときには、公営住宅の単身者・シェア利用の促進にしても、プライベートな低家賃住宅ストックの有効活用にしても、何段構えかの姿勢が必要になるのは言うまでもないが、何にせよ、日本社会が結構貧しい(で、その貧しさ自体は、そう簡単になくならない)という前提に立たないと、まったく進展しない。
バブルのときに、山谷や釜ヶ崎みたいなところでさえ、好況の中で「どんどんよくなる」ことが漠然と前提にされていたから、ビジネスホテルへの改装が次から次に起こったのだろう。

まずは、この認識の共有から、である。
もちろん、社会の誰かを貧困に突き落とすような政策の転換を訴えるのは重要な目標だが、それと「貧しくとも暮らせる空間」の確保を求めてゆくこととを、車の両輪としてやっていかなきゃならない状況に、もうどっぷりつかっている。


そして、「貧しくとも暮らせる空間」にはもうひとつ、ソフトな社会関係資本蓄積の側面がきわめて重要な要素になる。
「貧しくとも人とのつながりを保てる空間」ということだ。

そこはまた、次回にします。

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