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March 31, 2005

やや鬱×2

昨日の結果に関しては、何も言うことはないっす。

で、今後のことをぶつくさ呟いてみると。
中田はボランチで機能するのはある程度分かっていたわけだが、小野が復帰してどうするつもりだろうか。せっかくウェールズで調子を上げてきた稲本は、今後は代表に呼ばれつつ飼い殺しにされるのだろうか。やっぱりトップ下を中田とスンスケで争って、最後はどっちかが構想から外れるんだろうか。どうやらW山田を呼び戻す気もないバックアップのいない右サイドに、中田か小野を試すつもりはないんだろうか。アツはやっぱり右はできないんだろうか。

と、こうきて、4年前とまったく進歩のないことを堂堂巡りしてることに気づいて、やや鬱。
波戸→加地、戸田→福西に代わって、左にアレが固定されただけで、何一つチーム事情が変わってないじゃんか。


北朝鮮で「暴動」が起きたというのも感慨深い。
というか、全体主義国家が垣間見せた人間味に、やや嬉しくなるニュースではあった。

その発端となったロスタイムでのへタクソな「転び」は、師匠なら確実に一仕事=PKゲットってところだったろう。あのヘタクソさ加減が、巷間言う国際経験のなさというところなんだろうね。

もっとも、あの「暴動」のおかげで、6月の平壌での試合が第三国になるかもっていうのは、これまたやや鬱だな。
何が鬱って、おそらく代替地は北京かソウルのどちらかだろうけど、そこが実質アウェイになることを考えると、その画見せ付けられるのって、やっぱりヘコむじゃないっスか。
「日本って、東アジアで北朝鮮より嫌われてるんだ」っていう事実が否定できない形で突きつけられたら、結構動揺するナイーブな人も、まだまだこの国には多いと思うよ。その動揺は、すごい勢いで変なところに回収されるだろうしなぁ。

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March 29, 2005

贈る言葉

別に国歌だの国旗だのに萌えも燃えもしなけりゃ、燃やしたくもならない自分にとって、こういう話題について触れるのは芸風じゃない。基本的には、どっち側であれ、そうゆう性癖をお持ちの方々が勝手に噴き上がってくださいな、というスタンス。
しかし、昨日のクローズアップ現代を見て、いま都立高の現場で行われていることはさすがに面白すぎたので、ちょっと触れましょう。
1年前のこのシーズンにも、日の丸・君が代強要に批判的に言及した中野のPTA会長が吊るし上げにあった事件があったりと、もはや年中行事の観もあるが、もう国旗国歌うんぬん本来の議論とは、完全に別のところにあるね。

何でも、いま都立校の卒業式では、掲揚すべき国旗の大きさから壇上の位置まで厳格に決められた通達書が都教委から配られ、君が代斉唱時に起立しない教員は「処分」(「初犯」で戒告、「再犯」で減俸)されちゃうんだってね。

現場の管理職たる校長は、ほぼこの件の徹底だけを目的とした会議の出席のために新宿まで呼び出され、部下の教職員に対して、「卒業式の秩序ある遂行に協力する」ように、前例のない公印入りの指示書を出す。
まあ、率直に言って、「おいおい、この学校現場が一番クソ忙しい時期に、そんなどうでもいいことにエネルギー割くなよ&割かせるなよ~。もっとやんなきゃいけねぇことあんの山ほどあるの、わかってんでしょ」な話である。

で、現場のトホホな反響が(こういっては申し訳ないが)面白い。

都教委の方々が想定しておられるような国旗国歌への教条的な反発など、今日びの教員のほとんどは持ち合わせてない。しかし、「多様性」や「民主主義」を生徒に教えてきたと自負するマジメな教員にほど、このような「押し付け」が上から降って来ることに反発する気持ちが生まれる。
管理職は管理職で、現場の反発を心情的には理解しながらも、これを徹底させないと今度は自分たちが都教委から処分されちゃうので、通達を徹底しようと躍起になる。
それを受けて、教員側は心中揺れながらも、「君が代斉唱時には起立するように」という当たり前といえば当たり前、くだらないといえばくだらない指導をHRなどで生徒にするわけだが、生徒から、「これ、立たないと先生処分されちゃうんでしょ? なら、別にどうでもいいから立つよ」とか極めてオトナな反応を返され、また心中揺れてしまう。

かくして、本来ならそんなものなかったはずの「板挟み」状況が、いたるところで発生しているわけである。

この生徒と教員の微妙な立場の差っていうものの背景も、きわめて香ばしい。
もちろん、「国旗国家法」が成立したときに、国会では、「この法制定は教育現場での強制にするつもりはない」との政府答弁が繰り返されている。
なのにどうして、こういう現場での「強制」が行なわれるのか。それは、教員のことは都教育公務員としての服務規程で縛れる、という解釈である。生徒に対しての直接の「強制」はできない。しかし、教員自身が君が代斉唱に起立することはもちろん、生徒に「指導」すること--そして指導の「失敗」を罰すること--も、服務規程の範疇である種の強制力をもって行なわせることはできる。この理屈でもって、卒業式での「全員起立」の秩序が直接・間接に徹底できる、という理屈だ。

その結果、相対的に自由な立場にある生徒に教師が気遣われてしまうという、なんだかなぁ、な状況が生じるわけ。
愛国心教育→若者の秩序回復、という保守派が狙う電波ロジックにカンガみても、この君が代指導→生徒/教師秩序の逆転、というサイクルはどうなのよ、と。

じゃあ、この状況で現場の教員はどのように生徒に向き合ったらいいのか。
自分も教育の一端に携わるものとして全くの無関係ではないので、少し考えてみた。

「せっかくの卒業式なのにさぁ、こんなことガタガタ言われんの、みんなもヤかもしれないね。僕も代表戦見に行った時は普通に君が代歌ったけど、細かいことまで上からああしろこうしろ言われながら歌うのなんて、ちょっとムカツクよね。
でもさー、みんなが歌ってくんないと、僕の給料減らされちゃうかもしれないんだわ(笑) つーわけで、みんなまあ四の五の言わずに歌ってよ(笑)
これからさー、みんなも社会に出ると、こういう納得いかない縛りとかいっぱいあるわけよ。まあ、社会ってそんなもんだからさ。それに正面切って逆らっても全然いいことないよ。今回みたいに、別に歌ったところでそれほどまずい事が起こるわけでもないんなら、まあムカツク気持ちは胸にしまって形は整えときなさい。それが、社会で要領よく生き延びるコツだよ。
でもね、納得いかないことは絶対変えられないってわけでもないんだわ。一応民主主義ってことになってるこの日本では、社会のオカシナコトを変えていく回路がまったく閉じられているわけじゃない。今回の事でいえばね、分かりやすいよ。石原さんがね、都知事に選ばれなくなったら、まず間違いなく、こういうことはなくなるんだよ。逆に言うと、石原さんを選んだのは、先生たちや君らのお父さんお母さんなんだから、こっちにも責任はあるわけなんだよね。
石原さんだって、結構いいことやってるんだよ。でも、他のいいことと比べても、どうしても君が代歌わさたるのがヤだったら、再来年の選挙では君らも選挙権あるんだから、石原さんに票を入れなきゃいいんだ。周りの人たちに、石原さんに票を入れないように話をしてみればいいんだよ。」

こういうぶっちゃけトークを、18歳のみなさんへの「贈る言葉」にする価値は、それなりにあると思うのだが。

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師匠復活

鈴木隆行という世界的に見ても極めて稀なDFWは、このところ「師匠」と呼ばれているらしい。

師匠・鈴木隆行

師匠・鈴木隆行 その2

久しぶりに大笑いして、ややあってから、自分もこんな生き延び方を探さねばらぬと思った。

リンク先、必見!

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March 26, 2005

非国民です

親善試合以外で、代表が負けてそれほど悔しくないのも久しぶりだわ。

まだ負けてもシャレになる時期だからだというのはその通りだが、イラン代表、ジョホールバル以来かなり好きなんだよねぇ。あの思い切りのいい波状攻撃がさ。日本以外のチームとやるときにはいつも無条件に応援してまつ。
好きな選手も多いしね。老アリ・ダエイにマハダビキア、カリミ・・・ドイツ育ちの噂のイケメン、ザンディも、初めて見たけど前評判どおりのいいテクニシャンだったね。

アザディもすんげえ雰囲気いいよな・・・なんかヨーロッパ(特に東ヨーロッパ)との距離の近さを妙に感じる。アリ・サミ・イェンなんかとはまんま同じ雰囲気なんじゃないだろうか。
昼間に、金日成の独特なノリを見てたから、余計にそう感じるのかもしれないが。
まあ女性はいないけどね。

行ってみたいなぁ、イラン。

爆撃しないでね。

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March 14, 2005

『となり町戦争』

まともに小説を読んだのって、いつぶりだろうか。
小説を読む(というか自ら望んで本を読む)という習慣をなくして久しいのだけれど、あまりの煽り文句のすごさに手にとってみた。

全編ぶっ通しで、しかし何度も行ったり戻ったりしながら読み通して、悪酔いいたしました。

無駄のないセンテンスを積み上げ積み上げ見えてきた風景の向うに辿りついたほんの僅かな足場が、次のページで音を立てて崩れる。そんなことの繰り返しでしたので。

悪酔いしたのは、福岡や北九州を思わせるパラレルワールドで行われる、合理的な将来予測とグロテスクなまでに正当な手続きを経て遂行される「戦争事業」が、パラレルワールドのものだという確信が持てなかったからでしょうか。
「空爆」のニュースを聞き、「災害」の死者数を確認するたびに、株価と為替を気にしてしまう我々には。
(まあ昨日あんなエントリを書いていてナンですが)

是非手にとって欲しいので、こんなところでやめておきます。


そういや昨日、「林家正蔵」襲名披露の警備(@鈴本、上野駅、寛永寺)をしました。
石原軍団追っかけのおばちゃんパワーに押されまくったので、足腰がガタガタです。しかし主役そっちのけで舘ひろしはカッコよすぎた~

結構目立つところで警備をしていたので、朝のワイドショーにチラッと映るかも。
CXの笠井アナが司会だったので、「とくだね」での報道が多いかな。

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March 13, 2005

「社会的な責任」について III

ずいぶん間があき、すみません。

会社の価値=株主価値じゃあワレェ、というかなり明確かつそりゃそうだろよ、な司法判断が出たこともあり、まあこれをまとめておこうかと。

あ、書き始める前に、前のエントリから「庶民」という曖昧な言葉を多用してるけど、これ間違っても「市民」の打ち間違いじゃないからね(笑)
明らかに階層的なニュアンスを含んだ概念。
非常に簡単に申し上げれば、森永卓郎さんいうところの、来るべき時代に膨大に形成される「年収300万円以下」の層です。で、このシリーズの最後(予定)の今日のエントリは、そのU300万層こそが、株式市場の主要なプレーヤーのひとつになっていかなければいけないんじゃん、自分たち自身のためにこそ、ていうお話。


ところで私自身は、株式投資既にハジメテマス。

2月上旬にシンガポールからのエントリで復活するまで、3ヶ月間もずーっとこのブログをほっておいてたのは、まあ単に僕の怠惰のなせる業なんだけど、もうひとつちょっとした理由がございました。
11月中頃から、少しずつ溜まってきた銀行預金の多くを証券会社にうつし、株の売買をはじめました。当初は本当にイロハもわからなかったから、基本中の基本を勉強するだけで数日間も徹夜をし、頭の中は資産運用(と聞いて呆れるような額ではあるが)で一杯でした。その当時ブログを書くと、必然的にネット上にあまたある株式日記みたいなのにならざるを得ず、それはめっさイヤだったので、しばらく更新をやめていたのです。

そんなわけで、これからのエントリでも、どの個別銘柄を選んでいるとか、どのぐらい損益が出たかとか原則的に書きたくはないのだけど、まあ、株っていろんなことを考えさせてくれるいい機会ですわ。
中でも一番学んだのが、同一業種の中の(消費者にとっては)似たような企業でも経営方針って結構いろいろなんだなぁ、ということ。

僕の基本的な意識として、「ビジネスモデルのわからない会社には投資したくない」というのがあったので、銘柄を決めていくときに、とりあえず身近に利用頻度の高い会社をまず挙げてみて、その中から割安感があってかつ財務条件の健全なところを絞っていって、というように選んでいった。
そうすると必然的に、外食産業とかそういうところの株が数多く候補にあげられることになる。株主優待という意味でもおいしいしね。

その中で、11月下旬当時、テクニカル的に妙味のあった銘柄の一つに、Wがありました。
言わずと知れた「居食屋・○○」の運営会社ですね。

そこの会社のYahoo!Finance掲示板を見ると、ちょっと気になる投稿が連続してあったのです。
まとめると、「この会社のバイトへのオペレーションは酷い、サービス残業も常態化・システム化されている、こんな会社の株を買うというのはどうなんですか?」というようなものです

この業界でのこのテの話というと、Wが訴訟沙汰を起こしたモンテローザ・グループが有名ですね。昔もとりあげたことがあるけれどこれです。

Wグループにそういうことがあるのかは、謎です。極端に言えば、株主相手の匿名掲示板へのこんな書き込みなんて、ライバルグループの社員が、企業イメージを落とそうとして書き込んでいるのかもしれない。

しかし、その真偽の程はともかくとして、呆れたのは、その一連の投稿への「一般投資家」の反応でした。
そのほとんどが、「その話を聞いて安心しました。いい会社ですね、これからも投資しつづけます。あなたたちをそれだけ悪条件で雇用しているのなら、人件費が圧縮できているわけで、今後も収益率アップが見込めますからね」というようなものだった(w

その「民度の低さ」(笑)に呆れると同時に、こういう投資に対するマインドが変わっていけば、あるいは、違うマインドを持ったプレーヤーが株式市場に参入していけば、こうした労働条件改善へのかなり重要な梃子となりうるのではないか、という可能性を感じました。

つまりは、いわゆる「社会的責任投資(SRI)」と呼ばれるものを、少し雇用や労働条件といった方向にシフトしていけばいいということ。

まだまだ日本では、社会的責任という観点からの企業情報不足が顕著であまり一般的にはなっていませんが、アメリカでは2兆ドル規模に達しており、日本でも関心が急速に高まりつつある分野です。
その中で日本では、情報が少ないながらも「エコファンド」のような名前が先行するなど、企業の社会的責任として環境面が突出する傾向にあるけれど、庶民としては、もっと切羽詰った利害関係を重視してもいいのではないか、と。

もちろん環境も大事だ、フェアトレードしている企業は支援したくもなる、しかし自分たち(正確に言うと、自分たちが属している階層)の生活は当面もっとも大事ではないですか?
少なくとも、モンテローザだの、取り引き先泣かせで排除勧告までされたドンキホーテ(ここは従業員の労働条件も相当劣悪らしいが)だのの株には、どんなに旨みがありそうでも投資しない、というぐらいの消極的な選択はしてもいいんではないでしょうか。

同じ社会的責任といっても、その力点の置き方は国により少し異なるそうです。
英米では伝統的に、どちらかというと「倫理」(アルコールやタバコ産業に投資しないとか)に力点が置かれてきたのに対して、欧州大陸で言われる社会的責任とは、何といっても環境と雇用、とのこと。

翻ってこの日本の状況を見るに、欧州に比べて労働組合は完全に壊滅&自滅状態。
だとすると、不当な労働条件を続ける企業を、企業価値=株価下落というリスクにさらし、結果として労働者の権利を守るという回路の必要性は、欧州よりもさらに高いのではないでしょうか?

考えてみれば、企業と個人のかかわり方というのには、いくつかあるわけです。
まずは消費者として。それから従業員として。そして株主として、です。

近年消費者運動が高まり、クレイマーのような存在も建設的なものであればポジティブに認知されつつある中、消費者としての権利はずいぶん声高に主張できるようになってきた。この傾向は強まりこそすれ、弱まることはないでしょう。

その一方で、かなり内向きかつパターナリスティック(=温情的であると同時に抑圧的)な形で従業員の顔を見てきたカイシャ主義は、さすがに維持できなくなりつつある。といって、ほとんどの雇用者にのしかかる労働条件の下方圧力を撥ね退けるのに、労働運動という王道は通用しそうな状況にない。

だとすれば、急速に絶対視されるようになってきた「株主」という立場でも、企業にかかわるようにしていけばいいのです。そして、「株主」という立場から、労働条件の下方圧力に介入していけばいい。
もうひとつ、「消費者」という立場からそれに抗していく、という戦術も当然アリだけど(お得意の「フバイ運動」とか w)、回路は一つより二つあったほうがいいからね。それに、「株主」という立場からの方が、はるかに直接的だ。

「何を甘いことを」という人がいることも承知。そんな投資し姿勢じゃ損するよ、という声が飛んできそう。
まあ確かに、それほどの高利回りにはならないだろうね。

しかし、近年、やはり雇用や環境が主要テーマになりつつあるアメリカの社会的責任投資ファンドは、かなり好調に推移しているようです
上でリンクしたサイトの表現を引用すると、「企業の抱える問題はその企業のリスクであり、それを明らかにして、問題を避けることができ」るわけで、「社会的責任投資ファンドは、企業を変革する力を持つことで、投資家にとっても投資リスクを軽減するもの」です。

まあ、そういうファンドが未成熟な日本では、そうした視点を入れていこうとすると、とりあえずよりリスクの高い個別株取引になってしまうわけですが、まあそれでもいろんなヘッジを効かせることはできるわけで。

考えてみれば、株式投資って、100万円あれば、かなりいろんなバリエーションかましながら出来るんですよ。
とりあえず夫婦のどちらかが年収300万円程度はとれている世帯なら、子供にお金がかかっていたとしても、たいてい100万ちょっとぐらいの預金は持っているでしょう?(独身ならさらにハードルは低いはず)
最小で20~30万円あれば、なんとか最低限の株式投資はできる。これなら、時給750円以下のパートタイマー(=堀江氏の前妻・・・)には難しいけど、時給950円の深夜アルバイトであればクリアできる、という程度のハードルです。

そういうお金を、みんなが怖がらずに株式投資に回してみれば、結局は労働者としての自分たちの権利を守ることにも繋がりうるのでは、と。
たった100万円、って吹く人もいるだろうけど、3000万人が100万ずつ預金を株式市場に回したら、それで30兆。東証の時価総額は380兆。この数字をどう考えますか? 
しかも、多くのフリーターやパートの雇用に関わるような企業って、それほど時価総額の高い企業じゃないですよ。特に外食産業なんかは。
(まあ、この戦略の本当の難点は、本格的に労働条件の悪い企業の多くが、「どれだけ寄ってたかっても影響力を及ぼせないほど時価総額の高い大会社」だということじゃなくて、「そもそも株式公開していないから逆立ちしても株が買えない中小零細な企業」だったりするところなのだが・・・)

ちょっとネットで探してみれば、結構ありますよ。
へぇ、このご時世にこんなに従業員のキャリア形成を考えてくれてるんだ、と感心させられる企業も。

その中で、割安なものを探して中長期的に保有し、配当をもらいつつ企業の成長を応援し、あるところでキャピタルゲインというおまけをもらい、次の応援する企業を探す。

ある意味、実はこれこそが株式投資の王道でもありますよね。

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March 02, 2005

これはさすがに驚いた

いやぁ、世の中には同じことを見ていて、かつそれぞれロジックも通っていて、なのにまったく違う結論を出す人もいるのだなぁ、と。ちょっと長くなるけど、引用させていただく。

日本社会でいちばんマズイ話(フェティッシュジャーナル)
 

ジジイ、ババアの国で、堀江がしているのはフジサンケイグループにおいて社員のジジババに支払われ続けている、平均年収1000万を超える高給をリストラし、ライブドアのように平均年収400万に若返らせることだ。そうすれば企業としての魅力は増し、高く売り抜けることができる。
 そうしたプロセスで割を食うのはもちろんじじいばばあ、奥田に代表される財界の高齢者たちだ。なぜならリストラされるから。もらってきた既得権益=高給が、いまや堀江に脅かされている。
 奥田がいう「日本社会」とは、一面的には「じじいばばあが高給をもらえる社会」のことである。堀江の行動が「いちばんマズイ」のは、自分たちの給料、退職金、年金などの金銭給付が減ってしまう話だから、マズイ。
 (中略)
 もう一つの対立は世間の王道を行く連中対天の邪鬼連中であろう。堀江世代=私世代。私と堀江は同い年。受験勉強就職活動人口過剰でいつも大競争。中学時代はいじめ、自殺がブーム。バブル崩壊で就職氷河期。社会に出ても暗い90年代。急増する税金、社会保険料と、将来削られ続ける年金。その一方で、退職金で豪遊しようとする団塊世代。もちろんこうした世代のなかにあっても、それこそ大卒後、(早大卒にもかかわらず私は入社試験で落とされたのだが)フジサンケイグループに入社して高給をもらう同世代組というのはいるわけであり、そうした連中にいかに勝かが私らのもはや「生きるテーマ」(さもしいと謂われようがなんだろうが)となっている。
 そういう私ら天の邪鬼組のひとつの礎が「金がすべて」というモラルである。
 (中略)
 それは素直なまじめなよい人柄、家柄の、同世代の王道勝ち組の価値観からは決して生まれない天の邪鬼の哲学でもある。
 ホリエモンは、世代間対立ともう一つ、こうした同世代内の価値観の対立があることも照明した。

 先日も書いたことだが、メディア企業に代表されるような、規制に守られてきた業界の団塊世代の高給や年金を、下方圧力に晒すべきだというのには完全に同意する。
 しかし、そうしたリストラクチュアリングで浮いた財は、どこに配分されるべきなのか。メディア企業で言えば、外注先の制作会社で時給900円以下で酷使されている若い派遣労働者にこそ、まず第一に配分されるべきだろう。

 しかし、堀江はそんなことをするだろうか。
 いままでの姿勢を見る限り、それはありえない。それどころか、外注先を徹底的に叩いて叩いて、固定費をできるだけ圧縮しようとしてくるだろう。それが利益率の増大と、株価の上昇に繋がるから。

 団塊世代が溜め込んだ財を分捕ったあと(そこまでは正当な行為だと僕も思う)にせいぜいすることといえば、すべからく戦利品をハゲタカと山分けした上で、六本木ヒルズでミス・ユニバース(やっぱシャロン・ストーンに能天気に感激してた!何とわかりやすい)と酒池肉林を繰り広げるだけのことではないか。

 そうである限り堀江は断じて、敵の敵としての味方ではない。
 現状より悪い時代の扉を開ける可能性が高い破壊者を、僕は歓迎しない。(既得権益に対する「破壊者」としての役割だけでホリエモンは十分有意義ではないか、という意見に僕は50%ぐらいしか与しない。ちなみにそう言っている有力な論者は、宮台氏である。これは、日本を「民度」の高い状態に引きずり上げるためには、一度ネオリベラルな世界を通過する必要があるという彼の年来の主張とは完全に適合的な立場。この戦略論を僕は是としないが、いまそれを論じるだけの力はもっていないので保留)

 多くの「“ニート”や“引きこもり”のような、堀江社長とは対照的な「負け組」の若者たち、あるいは決して「勝ち組」ではない若者たちが、堀江社長の姿に、単なる羨望を超えた一種のシンパシーを寄せているように思われる」のだとしたら、それこそがこの社会の抱える本当の悲劇だ。
 あえて言うなら、「一億総中流」なんちてのほほんとした時代が終わり確実に階層化社会が到来しているのに、戦後60年の間に確実に壊れた階級意識(これは事実としての「階層」とはまったく次元の違う話だ)という受け皿がないために、階級という利害の対立軸をまったく自覚化することができず、すべての問題を世代間対立としてしか焦点化することができない、ということなのだろう。

 しかし、それにしても、上に引用したブロガーは、そんなことまですべてわかった上で、それでもなお堀江を支持しているのだろうな。

 自分のことを言うのもいやらしい話だが、一度は血迷って僕の立ち位置をはっきりしておこう。

 首都圏の一戸建て持ちの家に生まれついたという幸運のおかげで、住む場所には困らない環境にあるとはいうものの、いまだかつて将来が見通せる職についたためしはないし、今後の見通しも恐ろしく暗い。妻も似たような状況だ。
 おまけに、無計画に二人もガキを作り(もちろん、低所得の親を持つこいつらの乳幼児医療費はタダだ)、先々のことなど怖くて考えることもできない。

 だからこそ、「年収300万円層」(@森永卓郎)というアイデンティティを持っているし、逆に、このぐらいの所得水準でダラダラと人生を楽しむ術を模索しつつある。年収1000万円ある連中が、「1500万円よこせ」と怒鳴ることも、1500万円取るために粉骨砕身「自己投資」する感覚も、まったくもってわからないというのが本音だ。
 しかし、300万円台の年収が200万円台に削られてゆくことには抵抗したい。抵抗しないと端的に生活ができないからだ。(まあそれでも夫婦両方にそれだけの収入があれば何とかならんでもないが) そして、自分たちの生活というだけでなく、多くの庶民の給料が300万円台から200万円台に削られゆく流れに、異議を申し立てたいと思う。

 「同世代の王道勝ち組」とは到底言えない僕が導き出した答え、というより人生の指針は、こうだ。
 しかし、上のブロガーは似たような(推測)状況の中で、「金がすべて」というモラルを導き出したという。年収300万円台の生活を必死に守ることよりも、一発逆転で六本木ヒルズで豪遊する人生をツモる可能性に賭けたいということなのだろう。

 これはもう、信仰する神の違いとしか言いようがない。
 この違いは確かに「人柄」とか「家柄」(全然そんな大したものではないが、幼少期からの成長過程というぐらいの意味で)とかに帰着しなければならない問題なのかもしれない。
 
 しかし僕は、カイジやアカギが自らの肉体や血液を賭けて数億円を獲り合うような社会よりも、善良な羊たちがほのぼのと必要最低限な草を食むような社会に住みたい。書いていて我ながら情けなくなってくるけれど、本当にそう思う。
 そして、多くのこの社会の住民が、まだ僕と同じ価値観を持っているようにと、強く願う。

(今日のエントリは書きながら非常に気が動転してしまった。しかし、迷いましたが、とても大事なことなのであえて公開します。自分のとてもやらかい場所を曝け出している文章なので、僕のアイデンティティについてコメントがついても、今回に限ってはあまり回答しないかもしれません)

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追記:

引用したブログのこんなところを見ていくと(特に「階層縦断的発言者」とか「ブッシュ米大統領再選、そして……」とか)見ると、現状認識や価値観にも、ほとんど差異はないように感じた。引用文を僕が誤読している(or僕のバックグラウンドのどこかのせいで、必然的に誤読せざるを得ない)のか、むしろここまで認識が似通っているのにどうして最後の部分で違う解を導き出してしまうのかをこそ考えなければいけないのか、はわからないが。いずれにしてもこの辺は、ごく私的な備忘録です。

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