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February 28, 2005

「社会的な責任」について II

前回のエントリを、もう少し、別方向に深めてみたい。前回のようなレベルでの「企業の社会的な貢献」を巡る議論では、いずれにしても現時点では企業による経済活動の「ボタンタリーな」余技でしかない行動について、どうこう言ってるという以上のものにはなりにくいからね。
株主主権か従業員主権か、というそこで堂堂巡りしちゃうととにかく不毛なんだけど、それでもやっぱり避けて通ることは出来ない論点を視野に入れつつ。

こう書くと、古くからの読者の方には、どうせアメリカ流株主主権の資本主義へと変化していく趨勢にひとくさり憂えてホリエモンに当てこすりたいだけでしょ、と端から展開を見透かされそうで、まあそれもまったくないわけではないんだけど、さすがにそう単純でないことを書いてみたい。
そもそも、今回のケースに関していうと、買収後に平均年収1500万円超のフジテレビの給与カットに乗り出したところで、あらゆる意味でそれは自然だし、直接的にはそうした議論にちょっと馴染まないでしょ?


結論からまず言っちゃうと、今後庶民は「資産運用のために」という以上に、「生活防衛のために」株式市場に手を出すしかないんじゃね?って話。

株式会社は、株主様のものだ。残念ながら(?)、この原則は絶対に崩れない。
これはいい悪いの問題ではなくて、事実だ。その原則がこの国では、90年代までの亜閉鎖経済下の「社会主義的な」システムによって少しばかり歪められてきただけだ。

労働分配率(平たく言えば、企業が生み出した付加価値を、資本=株主側と分け合う中で、労働=従業員側にどれだけ分配されたか、という指標である)が、景気変動とどのように関連があるか、考えたことはあるだろうか?

「景気が悪くなって企業収益が悪化しても、人件費はそう簡単に削れないから、労働分配率は上がるんじゃないかなぁ」

そう考えたあなた。あなたは「社会主義的」システムにズブズブに漬かった日本人です(笑)
いまブログ界で話題のこの辺のテストをしたら、アングロサクソンに晴れて左翼認定されることでしょう。

アメリカでは、不況期でも、いや不況期だからこそ、株主への配当をギリギリまで保とうとするので、労働分配率は、全体の収益が下落した分やや下降するのです。
つまり、日本では景気変動と労働分配率が強い逆相関なのに対して、アメリカでは順相関。

もちろん、アメリカの極度の株主優先主義--参考にさせてもらったこのサイトの表現を使えば、不況期に労働者がオーバーリスクをとる社会--も、相当曲がり角に来ている。
日経のコラムでも触れられている通り、アメリカの中でも大型企業破綻を契機に、株価市場主義への懐疑の声を高まっている。

しかしそれはもちろん、日本の文脈では一周先の話。
2000年代に入って、労働分配率が見事に下落しているのは、従来の好況→労働分配率下落というメカニズム以上の、本質的な経営側のシフトがあると考えざるを得ない。

ようやく株主に向き始めた企業の顔を、労働者を含めた「社会」に再度振り向かせるために、これまでのようなぬるい「社会主義的なシステム」--規制や株式持ち合い--という壮大な非効率を続けることは、もはやできない。
なぜなら、株価が低迷し時価総額がぐっとお安いのに、キラキラの無借金経営で保有資産は高い日本の会社なんて、海の向うの肉食獣たちにとっては、この上なくおいしいご馳走でしかないからだ。
いざM&Aとなったら、今回のフジテレビのような掟破りも多発するだろうけど、そうした事態を避けるために企業がなすべきことは基本的に、増配や自社株買い、そして「大胆なリストラ策」の発表などを通して、株価を高値に保とうと頑張るしかない。

それがやだって言うのなら、一つの手は、鎖国することだ。

そりゃあ、儂とて鎖国したほうがいいんじゃね?と思うときはあるよ。
3週間前に、クソみたいな労働条件で酷使される現代のクーリーたちから完璧に隔絶された熱帯の小島の摩天楼群を、白人の投資家たちとそのおこぼれを狙う中国系やインド系が我が物顔に闊歩してるのを見せつけられた時には、国に帰ったら攘夷を敢行して夷狄を追い払うしかないって真剣に思い詰めましたよ(←お前は上海の高杉晋作か)

でもそんなの、さすがにブログにも書けねぇ世迷言だって。(←書いてるし)
鎖国が現実的でない以上は、企業は株主の顔だけを見るように、これからますますなっていくだろう。というか、ならざるを得ない。

だとするならば、自分たちも株主になっちゃえばいいじゃん、っていう至極単純な発想。
株価は次第に上がっていくのに、実質賃下げと生活ギリギリの給料も危うい不安定労働者が増えてゆくという、「国破れて企業あり」みたいな「ジョブロス・リカバリー」が深刻化していく中、少しでもマシな暮らしをするには、なけなしの預金を証券会社に移して株主になってしまうしかないんじゃないか、ということ。
結局それが、タケナカが始終言っていることに乗っちゃった行動だっていうのは少々悔しいかもしれないけど、労働分配率の下落を無意味にノスタル気分で憂えているよりは、株主様として機嫌とってもらって、増加する配当を分配してもらった方が、ぐっとポジティブというもの。

それに、近々ハイパーインフレが起こる、なんて噂話を聞くにつけ、預金で持っているより株にしといたほうが安心だしね。


ここまではまあ、巷のファイナンシャルプランナーと称する人たちと同じことを言っているに過ぎないわけだが、さらにもうひとつ、庶民こそ株式投資をするべきだと考えるもうひとつの重要な理由がある。
前フリが実に長かったが、ここでようやく企業の「社会的責任」の話と繋がる。

だがしかし。ふぅ。疲れました。
ここまででずいぶん長くなっちゃいましたね。

今日のところは、あまりに当たり前すぎて全然つまんない話ですが、これ以上長いと読み手も書き手も疲れるので、続きは後日にします。

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