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June 26, 2004

とても重い話

@nifty:NEWS@nifty:“異国人”少女に心の傷…男児突き落とし事件(読売新聞)

うーん。唸ってしまう。
戦争で日本軍の被害にあっていて、「少女の小学校での成績は優秀で、現地語のほか、英語、中国語にも習熟していた。」というくだりから考えると、マレーシアだろうか。
しかし、教師までもが暴行していたっていうのはすごいな。

とりあえず、現時点ではこれ以上の論評不能。
いや、生半可な好奇心しか持ち得ない限り、論評するべきではない事件だろう。
特に、「ポストコロニアル」だのなんだの変な冠を安易につける誘惑には抗したい。

しかし、重要な事件ですよ、これは。「個別」ではあるけど、「特殊」ではないというような。
前のエントリにひきつけて言うのなら、こちらの事件の方が、今後の日本を考えるに、よほど「イレギュラー」なものではなくなる可能性が高い。

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June 25, 2004

イレギュラー・バグ

用意していたまとまった文章ではないのだけれど、ちょこっと面白いことを。

Scrambled Eggs

少年犯罪は戦後すぐの時期の方が今よりはるかに多い、という事実は、話としてはもちろん知っていたけれども、最近あらためてそれを実感している。

ここのところ、いわゆる上野の「闇市」時代の歴史を調べる一環で、昭和21~27年ごろの新聞記事における上野にまつわる犯罪記事を洗っている。
この時期といえば、まずは横流しや禁制品がらみの経済事件、それからヤクザがらみの暴力沙汰、民族がらみの「騒擾事件」といったイメージで、実際それらの事件は多いんだけれど、少年犯罪の記事も非常に目立つ。

中でも浮浪児が溜まる上野駅の地下道は、「関東一円の少年犯罪の巣」という形でフレームアップされ、特に昭和23年6月までの断続的な「刈り込み」が行われた時期には、連日3面を賑わしている(正確には、当時の新聞は表裏一枚だけだったので、「裏面」ね)。
江戸川区あたりで行われた少年強盗の記事も、「上野育ちの五人組」なんていう見出しをつけられ、すっかり少年犯罪のメッカというフレームアップだ。それも、昭和23年ごろになると、上野駅の地下道の少年たちは、「貧しさ故にここに寝泊りしているわけではない」こちが強調され始めているのは、ちょっと意外でしょ?

さらに面白いのが、昭和23年という「食うや食わずの」(とわれわれがイメージする)時期に、「猟奇犯罪小説に影響を受けた中学生が、小学生を刺殺」というような事件が起こっていて、しかも、「暴力的なメディアの悪影響」というお決まりの議論で短い記事が締めくくられていることだ(笑・・・うとこじゃないけど笑ってしまう)

neutralさん言うところのイレギュラー・バグ・エラーは、こんな時代にもしっかり起こっているわけだ。
ただし、もっと重要なことに、この事件は、当時の新聞紙上でイレギュラーなものとして「流され」、連日の追いはぎや強盗や労働争議、あるいは阪神教育闘争(やや一面的な記事だけど、これを)を含む「騒擾事件」の前に、大した関心を引くこともなく、すっと消えていっている。
もちろん、当時の新聞紙面があまりにも少ないということも関係あるのだろうけど、結局のところ、こういう「満たされた少年による猟奇犯罪」が、イレギュラーなものであり、殊更に社会的議論に対象とするにはあたらないものだと、当時の社会のメンバーに理解されていたということではあろう。

かつて、酒鬼薔薇事件のときに宮台サンは、「いつの時代も、どんな社会も、一定割合の人格障害や、個別の家庭問題や、個別の教師暴力は、必ず存在する。だがそういう問題を持つ者が「何をするか」は、社会環境の関数である」(まぼろしの郊外)と言っていたけれど、こう言い換えた方がいいんじゃないだろうか。
「いつの時代も、どんな社会も、一定割合の人格障害があるし、動機はどうあれ、結果として引き起こす「イレギュラーな何か」も一定の割合で起こるけれども、それが社会病理を象徴するものとして了解され、フレームアップされるかどうかは、社会環境の関数である」と。

う~ん、言ってしまえばごく当たり前の、つまらん構築主義やなぁ(笑)

つーか、トラックバックってこれでいーの?

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June 23, 2004

台風の日はサンダルで

やっとこさ、最大懸案だった頼まれ仕事がこの前の週末に終わりました。柄にもなく結構なプレッシャーを感じていたんだけど、実りあるものになってよかったっす。
まだ春の学会・講演会シリーズは終わりではないけど、先が見えてきたかな、と。

南半球や南インドにでも行かない限りみんなそうだと思うけど、夏の初めの久方ぶりの台風にはなんか毎年ビビらされますよね。
月曜日は僕も苦労しました。

一橋に出かけたのだけど、こういう日は当然のように短パンと、裸足にデッキシューズもしくはサンダル。

大学に入って最初にタイに行ったとき、タイの人は雨季にはスーツを着るビジネスマンも含め、みんなサンダル履きだという話を聴いて、なるほど、と膝を打った経験があります。

それまで、酷い雨の日には、傘を差し、レインコートを着て、長靴を履く(まあ、これは小学校時代だけだが)というのが常識だと思っていたわけですけれど。
雨に濡れないように身を守るという発想ではなく、水没するほどびしょぬれになることを前提に、その時まだ快適なのはどんな服装か、という発想なわけです。

考えてみれば当たり前なんだけど、こういう発想って、僕が育ってきた環境(日本なのか、関東なのか、開成なのかはわからないが)に一番欠けていた部分だなって思った次第です。

ま、最近はこういう発想ばかりが自分に染み込んでしまったから、かくもダウナー系の日々を生きている気もしますが(藁・・えない)

今日の夜は少し時間があるので、まとまった記事を考えています。


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June 17, 2004

おっきいからキライ?

というのは、うちの娘の口癖である。
「なんでキライなの?」と聞かれて答えに窮すると、ぜんぶ「おっきいもの」とカテゴライズしてしまう。大好きなママはいつも「ちっちゃい」のだけど、キャンキャン吠える親戚の家のミニチュアダックスは「おっきいからキライ」。ちなみにパパは、虫の居所によっておっきくなったりおっきくなくなったりする。

で、彼女は最近テレビ・ニュースに出てくる単語に興味を示して、「きたちょーせん、どこ?」とか、「こーしゅみさん、どこいるの?」とかマセたことを聞いてくることがあるのだけど、「アメリカの王様はおっきいからキライ」という評価に落ち着いたらしい(笑) きわめてシンプルに合ってるような気がする。

そんななか僕は、どうしても家に増えてゆくディズニーグッズを前に、「ミッキーさん悪い子」というネタを懸命に吹き込もうとしてきたのだけど、それは常にカミさんに見つかると怒られることの一つ。
業を煮やしたカミサンはと妹は、娘をディズニーシーに連れ出した。当然の結果としてディズニーシーに大興奮した娘が、「ミッキーさん、悪いコないよ、いいコよぉ!」と僕に楯突くようになったのが約一ヶ月前。

しかし、その翌日にどんぴしゃのニュースが流れたんだな~、これが。ディズニー社に配給を止められていた「華氏911」のカンヌ受賞。これ幸いとばかりにパパの反攻。
「すっちゃんは、アメリカの王様はおっきいからキライでしょ」「うん」「あのヒゲのオジサンは、アメリカの王様は悪い子だってみんなに教えてあげようとしたら、ミッキーさんにいじめられちゃったの」「なんで、いじめられちゃったの?」「アメリカの王様と、ミッキーさんはすっごい仲良しなの」「なんで?」「ミッキーさんも悪い子だからだよ」「わかった」・・・

かくして娘はまたまた、ミッキーさんがいい子なのか悪い子なのかわからなくなってしまいました・・・というのはネタなのであまりマジに受け取らないで欲しいけど、大筋では結構深刻な寓話にもなっている、かな?

個人的には、ディズニーランドはあまり好きではない。だが、巨大資本の作り出すスペクタクルの幼児性を頭の中では揶揄しながらも、いざそれが眼前で展開され始めると、その圧倒的な快楽に酔いしれてしまう、という身体反応は非常によくわかる。

ディズニー社の着ぐるみやショーには僕の身体は反応しないけれども(単純に好きではないだけだろう)、ユーロ2004真っ最中のいま盛んに放映されているこんなものには僕の身体はきわめてナチュラルに反応し、幼児のようにキャッキャッと言ってしまう。

90年代中頃から展開されていたナイキの「超豪華スター競演CM」の系譜に、程なくアディダスが挑みだしてもう数年たつ。当初こそ、豪華なのは顔ぶれだけで二番煎じ的印象の強かったアディダスのCMだが、2002W杯のあたりからは、映像センスもナイキと互角になってきたんじゃないだろうか? 日韓W杯の"Fever Nova"キャンペーンでのジダンやバルデスが出るCMもよかったし、トルシエが出てる国内バージョンも最高だった。今回の"Road to Lisbon"も、とってもラフな作りで、心地いい。

ただ、いかにナチュラルにラフに作っていようが、このCMは、ナイキvsアディダスという、世界のフットボール・シーンを最終的なところで左右している(ex.フランスW杯決勝でのナイキによるロナウド出場強制疑惑!)とも言われる巨大企業間のグロテスクな縄張り争いの最前線でもある。
そのグロテスクさの一端は、出てくるスター選手たちの出で立ちを見ると一目瞭然だ。アディダスのユニを採用しているドイツ勢やフランス勢、スペイン勢が、代表ユニに身を包んでリスボンを目指すのに対し、ベッカム様やランパードらのイングランド勢、プーマの宣伝に起用されているイタリア代表の一員でもあるデルピエロ、ナイキ帝国の一角でもあるオランダのマカーイやポルトガルのルイ・コスタは、三本線のついた練習用のジャージや、無地のTシャツを着て、リスボン行きのスクーターに跨っている。
ちなみに、このCMにも登場するドイツ・フランス・スペインの「欧州アディダス三強」をはじめとした代表チーム、レアルやミランからアルビレックス、FC東京に至るクラブの双方において、アディダスにユニを提供されているチームが揃いも揃って、アディダス伝統の3本線を律儀に肩口やパンツに目立たせるデザインに変えてきたのも、そう遠い昔のことじゃないようなきがするんだけど、いかがだろうか? それに対抗したのか、ナイキも、例のマークだけでは飽き足らず、ブラジル、ポルトガル、オランダ、と次々に超目立つ②⑥みたいなマルで囲んだナンバーをフィーチャーし、ますます自社ブランドをアピールしているし。

もちろん、ナイキだのアディダスだのの巨大資本のグロテスクさを強調することで、彼らがいじくり回さなきゃフットボールももっと幸福なスポーツに戻れるのに、なんて素朴かつレトロスペクティブなことを言うつもりはない。それに何よりも、アディダスもナイキもなければ、"Road to Lisbon"や"Scorpion"みたいな「豪華」なCMに酔いしれることさえできなかったということは、忘れてはならない。

ただ、巨大資本の作り出すスペクタクルは、身体にきわめて強い浸透力を持つ快楽を作り出し、自分も含めた大部分の人間は本当にそういうものに弱い、ということだけは、ある種の気持ち悪さの感覚とともに自覚しておきたい。と、ただそれだけのことでしかないんだけど。
何のかんのいいながら、「地元に密着した」柏レイソルの試合を見るよりも、「巨大資本がショーアップした」ユーロ2004でのスペクタクルに数倍の快楽を見出してしまう、素直な自分の身体。もちろん、こんな二項対立もそれほど意味のあるものではないのだけれども、やっぱりふとこんなことをナイーブに考えてしまう。

そんな自分には、近鉄ファンに偽善的な同情を向け、ナベツネに憤る資格もないのかしらん。

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June 08, 2004

こせい?

あ~い、きゃ~ん、ふら~い!(@ピンポン)ぐらいしか和めるニュースのない昨今、みなさまいかがお過ごしでしたか?
(アルツハイマーのご老人が亡くなったニュースも和みネタのはずなのですけど、あそこまで各紙で褒めちぎられるとねぇ。歴史上は、「最強国家の玉座にバカが座ると、そりゃーもう最強」というのを最初に証明しただけの人物のはずなのだが)

この前久しぶりにオアシスのセカンドやらレディオヘッドのファーストやら引っ張り出して聞いていたら、妙にジーンときてしまった。相当に疲れているのかも知れぬ。
少なくとも、仕事以外の場所でキッツイ話を論評するのはツライ。

ので、本当はめちゃくちゃ重くなりうるテーマを、軽い話題で書く。

この前のナンバー「代表シャッフル」、ご覧になった人も多いかもしれないけど、個人的に面白い記事は、「エコノミストが見るジーコ・ジャパンとトルシエ・ジャパン」みたいな企画だった。
山崎元とか、財部某とかが、二人の監督のチーム・マネジメントについて、どうこう言うの。連中の俄仕込みのサッカー論自体はどうでもいいんだけど、面白かったのが、エコノミストたちが揃いも揃ってトルシエ支持派で、ジーコをけなしていたこと。しかもチェコ戦の後のタイミングの取材と推測されるのにね。

しかも、そのロジックに共通しているのが、「選手に個性は要らない」「トップは、明確な意思を持ち、はっきりした戦略的コンセプトを示し、部下にそれを徹底して叩き込まなければならない」というもの。

ネオ・リベラルの正体見たり、とあらためていや~な気持ちになったのは、私だけでしょうか?

こういったエコノミストたちが今まで主張していたのは、「確固とした個性を持て」「組織に流されない個人たれ」みたいなことだったでしょう? まあ、僕は彼らの著作とか全然興味ないから、雑駁で十把一からげな話しかできないけれども、だいたい一般的にも、そんな風に了解されているのではないですか?
しかし、そんな風に一般人を、「自己投資」というレースに煽っておきながら、実際のところ「個性」なんてものが必要なのは、「上に立つトップ」だけで、それ以外は「ただのコマでいい」。日本代表選手ですら、監督の戦術に従順なコマであれ、と言っているわけだから、ましてや企業の一般従業員をや。

これって、単なるテイラー主義の徹底じゃん。
普段ネットワーク型組織だの、リゾーム型意思決定だのいろいろ言う人も多いけど、不慣れなお仕事を引き受けたおかげで、ぽろっと本音が出ちゃってますよね(笑)


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