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April 13, 2004

息切れ・・・

しましたね、私も多くのブログもマスコミも。

 そりゃ、そうか。「まだ24時間はヒリつく」どころではなくなりましたからね。ただ、自戒を込めて、「ヒリつきを飼いならす」のと「もう疲れたので見なかったことにする」のとは、大きな違いがあると、こそっと書いておきます。

 おそらくもう長期戦になるでしょう。もう3邦人の問題を単独で言っても意味がなくて、一連の数多くの外国人人質とファルージャ包囲戦の長々とした展開の中で、どう転がっていくかという次元になってきた。

 もう犯人側も組織の末端の一時的な感情に駆られて殺害する、というようなことはなくなったと見ていいだろうし、いずれは3邦人も含めて多くの人質が無事に解放されるでしょう。
こうなると、こうした長々とした展開の末に、どんな事態のフレーミングが起こるのか、ということに僕の関心もシフトしてきた。

 ダラダラした展開に何も言うべきことがなくなったマスメディアは、週明けから公然と「自作自演説」めいたことが匂わされるようになってきている。僕自身は、「疑わしきは罰せず」というスタンスで、この段階では、白か黒かわからないのなら自作自演のラインは考えない立場だけど、その僕でさえ、「日本国民のイラク国民への謝罪」などというくだりが、「新たな解放条件」に加えられたのを見ると、「アラブのテロリストであれ、野盗であれ、いくらなんでもそんな実のないことを要求しないでしょー、そんなことにこだわんの、日本のサヨクだけだよー」という気分にもなってくる。
 その上、この事態の長期化の中で、それでもこの問題に注視し続ける人の大半はいまや、「プロ市民のおたおたぶりを嗤いたい」連中がほとんどということになっているように見える。首相官邸の前で叫び続ける人々に、シンパシーを抱く素朴な善意は、事件当初のインパクトが薄れるにつれて、ほとんど淘汰されてきてしまっただろうし。

 正直この展開のまま、あと1週間ぐらいたって航空自衛隊の輸送機で3人がアンマンに降り立ち、その場で「アメリカ軍の暴虐と自衛隊の撤兵」を声高に叫んだとしたら、日本の「市民運動」はその時点で息の根を絶たれるでしょう。自作自演説が一斉に本人に対して向けられ、ヒステリックなお仲間たちの反論がむなしく宙に浮く。そんな絵が思い浮かびます。
 確かに、さまざまな問題を60年間健忘症的に回避してきた結果として、このような「市民運動」をめぐる状況も生じているわけで、一回そこにケリをつけなければならないのは、確か。そのまたとない機会を今私たちは生きているわけだし、そういったことについて真摯に考える機会になったのだとしたら、この人質事件も無駄ではなかった、ということになります。

 しかし、「プロ市民を非難する」側も「嗤っている」だけで、真摯に状況に呼応しているようには、とても見えない。迷宮旅行社によると、藤原帰一氏は、

日本は〈平和〉という色眼鏡をもって世界を見る状態から、一転して軍隊に対する希望的観測でものごとすべて見る方向にひっくり返っちゃったんですよね。軍隊なかったら平和になるんだっていう極端な平和主義が裏返しになったみたいなね。世の中は危ないんだからガツンとやるしかないっていう。これは逆の軍事崇拝みたいな感じで、教条的ですよね。
…憲法をベースにした平和主義があまりに実情と離れてしまったため、逆に軍事力に対する過度の楽観主義が広がっちゃった

と書いているそうな。この指摘は、重く受け止めなければならないでしょう。

 「世論を逆転させるには、ファルージャを包囲してる米軍が、人質もろとも「誤爆」しちゃうぐらいのことがないとなー」なんていう不謹慎極まりないプラグマティズムは、ぜひとも封印しておきたいものです。


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