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April 27, 2004

間の抜けた時期の投稿ですが・・・自己責任異論I

長いこと相すみませんでした。先々週の末からしばらく多忙な日々が続き、終わったと思ったら、ひっくり返るような事態がまた発生し・・・という日々でした。一週間以上過ぎ、世の中の流れ的にも、まさにマヌケな投稿です。

この一週間は、ウェブはおろか、新聞やニュースすらもろくすっポフォローできていないので、「ネット世論」の動向どころか事実認識にも間違いがあるかもしれないが、例の人質事件の「世論」は、2割程度の国家主義的な強硬論と、2割程度の平和主義的な撤退論が対峙し、そのあいだの6割が「自己責任」を合言葉に一旦雪崩を打って、その後若干揺り戻し、といった総括でいいだろうか?

ここの13日の記事で「国家の視点」とまとめられている人たちに対しては、もはや言うべきこともない。それは僕が、「他者の恐怖との付き合い方」でジェリド・メサくんたちと呼んでいた人たちだが、その人たちが自らと「国家」とが一体化したかのように「異分子」の「自己責任」を追及するのならば、その批判は別の人に任せよう。

今回の一件での気持ちの悪さの最大の理由は、どこででも言われているらしいことだが、「自己責任」を合言葉とした中間層(?)の雪崩現象にあるだろう。敢えて言えば、一般世論の2ch化とでも言おうか。(いまの2chをはじめとした「ネタが飽和してベタになった」ネット世論に、W杯での「韓国誤審騒動」では百歩譲ってその機能的意義を見出しえた、「奇麗事ばかり言うマスメディアへのカウンター」という存在価値はない。たとえば、「社会派くんがゆく!」での村崎・唐沢両御大の珠玉の批判精神も、今回はただ単に居酒屋の愚痴を増幅した罵詈雑言に過ぎなくなってしまっている)
それがなぜ起こったのかという分析も各処でされているのだろうが、全く目を通す余裕もなかったので、もしかしたら今や当たり前な論点かもしれないが、一応見解をまとめておく。
(高遠さんら3人をまさに「人間の盾」として、その陰に隠れた観のある安田さんら2人に関しては、とりあえず今回は触れないことにする)

人質事件発生当初、至るところで「プロ市民」の今井君や高遠さんに対するフレームアップが起こっていたが、彼らのイラクでの活動がどれほどダメで欺瞞的なものなのかは、それほどきちんと呈示されていなかったし、多くの人たちも、そんなところに関心は示していなかったように思う。その証拠に、「自己責任論」の最右翼であった週刊新潮の中吊り広告で一番目立ったのは、イラクにおける人道支援の「偽善」を真っ向から批判するキャッチではなく、あざといほどに3人の過去や家庭環境を暴いた大見出しだった。

それを見て僕は、ああ、多くの人たちはいま、「社会正義の実現と言う志を持つこと」や「他者と向き合おうとする善意」をこんなに怖れているんだな、だから彼らをレッテル張りして、「あっち側」に切り離したくて仕方ないんだな、と感じていた。さらに強い言い方をすれば、ジーコ・ジャパンを見て「チームが壊れてゆく」悲しさを味わうのと似て、「この社会が壊れてゆく」(あるいは「この社会が既に壊れていたことに気づいた」)寂しさを味わっていた。

むろん僕も、NGOの「志」や「善意」を一義的に肯定することなど愚の骨頂ということぐらいわかっている。基本的に、このわりと有名な山形浩生の文章は正しいと思っている。
「善意」や「志」の検証は必要だ。ただ、3人の件に関するバッシングでは、「志を持つこと」を即「幼稚なこと」「世間知らず」と捉える傾向が強かったように思う。(「ネタ」としてであれ、「ベタ」としてであれ。今回に関しては、この二つを一生懸命分ける意味はあまり感じない。それは上の「社会派くん」を見ても明らかでしょ?)

しかし、それは諸刃の剣だ。「志への躊躇」や「志(を強制されること)からの自由の確保」は確かに、安易な噴きあがりで周囲に迷惑をかけることを戒め、「大きな物語」への距離感を取る上で大事なことだ。masa-nさんが「卑賤の民の知恵」と呼んだ、「地に足の着いた人生」をこそ称揚するその態度それ自体は正しいし、僕自身旧サイトから一貫してその立場を支持してきた。
ただ、「卑賤の民の知恵」としての「志への躊躇」は、原理的に現状維持的な保守主義にしかなりえず、さらにそれが「志への禁忌」「志(を持つこと)への自由の禁止」というより積極的な命題になったときには、現状を強力に肯定し、権力を持つ者をほくそえませる結果にしかならない。そのことが、今回の一件で大分はっきりとしてきた。僕自身、強引な痛みを強いながら経済成長を取り繕うとする小泉政権がどうしてここまで高人気を誇っているのか、うまく分析できていなかったが、この感性の蔓延で大部分説明できそうだ。(ことここに至るまでそれがわからなかった自分の不明を恥じるが)

この「志への禁忌」の正体は何か。そして、それはどうしてかくもこの社会に蔓延してしまっているのか。これこそがいま分節化されるべき、最大の問題であるように思う。

「志への禁忌」は、何らかの個々人の「不幸」を、天から与えられた「不運」ではなく、解決されるべき「問題」として「社会」のアリーナへと引きずり出して交渉する/抵抗するという戦略(この積み重ねで、近代社会は少しずつマシになっていったのだ)を、原理的に否定してしまうのではないか。「志」のない「卑賤の民」は、占領と言う「不幸」に対して抵抗を続けるイラク人やパレスチナ人にどう声をかけるのかを、考えてみればいい。おそらく、こう「良心的」に語りかけることだろう。「あー、どうせ敵わないんだから、とっとと降伏しちゃいなよ、アメリカに抵抗してる一部の噴きあがった連中のせいで戦争が長引いているんだ。殺された民間人? 運が悪かったんだよ、こんな町に生まれついたあんたらの運が悪いんだよ・・・」

人質事件に関連する最初のエントリーに書いたように、イラク人やパレスチナ人の運命などどうでも構わない。そう日本人が考え、世界システムの中で「運が悪く生まれついた」遠い国の他者たちを見なかったことにするのは、それほど不自然なことではない。
しかし、一連の「自己責任論」の噴出を見てゆくと、この社会の大半の人たちはいま、より狭い社会内の近い他者の「不幸」に対しても、あるいは極端に言えば、自分自身の「不幸」に対しても、この「志の禁忌」を貫徹させるのではないか、という危惧がぬぐえないのだ。
近所の公園にいるホームレスに対して、親戚の介護疲れの初老のおばさんに対して、そして、自分自身のリストラの危機に対しても。

そういった意味で、今回の「自己責任論」の噴出と、リストラの嵐の中でまともな労働運動がますます退潮していったことや、小泉政権の「痛み」に耐える妙に物分りのいい国民の姿とは、同一地平線上にあるように思う。
失職も、就職難も、ホームレスも、「自己責任」。そうならないために、仕事のスキルをアップし、自分を磨き、英会話に通おう。そうしないと、明日は我が身だ。労働組合の旗を持ってサービス残業やリストラに反抗したってどうにもならない、今はそういう厳しい時代なんだから、何とかその中で生き残っていかなくちゃ。
・・・これでは、結局のところ、近代初期以前の都合のいい労働力にしかなりえないのだが。

そこでは、自らや周囲の「不幸」を「社会」のアリーナに呈示し、システムの改革を要求することは、むしろ「邪魔」なことだ。そんなことをしている余裕は誰にもなく、おかしな「志」を持っているのは、幼稚で世間知らずな人間。時には「自己責任」と言うには酷な人(障害者とか)もいるかもしれないが、まあそれは止む無い「不運」として見なかったことにしよう。

こうした状態では、有効な集合行動など、成立しえない。
人質事件の「自己責任」の大合唱から、ここまで思考が飛躍して、「社会が壊れた」寂しさを感じていた僕は、少し牽強付会に過ぎるだろうか?

「自己責任とは何か」の問いだけで、ちょっと長くなりすぎました。
「なぜ」の問いの方は、次のエントリと言うことにします。

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April 17, 2004

自己責任について・序論:外堀から埋めてゆく

まずは、事実確認として、いくつか押さえておきたいことがある。
とりあえず、これを。

しつこく自己責任にこだわる
しつこく自己責任にこだわる(2)

上のリンク、あれって思う人も多いかもしれないけど、考えてみればそうだよね。
何せ「非戦闘地域」だったんだから、イラクは。
それなのに、世論の風向きを気にして強い「自己責任論」をぶつ小泉政権各閣僚は、さすがに風を見るに敏ですね。

それに乗じて、こんな記事まで出ているが、これなどほとんど詐欺の域に近い。
おそらく普通に計算すれば一人頭数百万円はくだらないだろう、チャーター機での移動、「アメリカン病院」に泊り込んでの至れり尽くせりのメディカルチェックなどという「ゴージャス」なサービスを、誰が要求し、誰が購入することに同意した? 彼ら自身は、バグダッドの大使館の土間で雑魚寝するか、それが無理だというなら、高遠さんの行きつけの安宿で数日過ごしてロイヤルヨルダンの空席待ちをすれば、それでよかったはずだ(そこにかかる最低限の費用は、もちろん請求すればいい。もし、チャーター機を彼ら自身が要求したというなら、顎が外れるというか、そんな日本の市民運動なんて全滅しちゃえ、と僕だって思います)
南アジアを旅行すると、やたらに高いホテルやレストランに連れて行って中間マージンをとろうとするタクシードライバーや自称ツーリストエージェントがワラワラよってくるが、今回の外務省のやったことは、そういう中でも破格に悪質な部類だ。だって、断れないんだから。ケチな話というなかれ、バックパック旅行を一度でもしたことのある人は、血液が逆流するぐらいむかつく話だろう。

そして、これ。

都合の良い「退避勧告」・日本政府の矛盾

特に、このくだりは重要だ。

しかし、日本政府はイラクの退避勧告を出しながらも、一方でジャパン・プラットフォーム(JPF)を通してイラクでのNGOによる人道支援活動に資金提供を続けている(JPFプレスリリース)。日本政府自身も退避勧告を「この程度」としか捕らえていないのだ。イラクで活動するNGO活動を事実上容認しておきながら、事件が起こって、後から「退避勧告が出ていたんだから入国すべきではない」「日本政府が救出活動に努力したんだから従うべき」というのは、あまりにも都合が良すぎる。この二人の発言は、日本政府のポジションからはまったく外れているのである。

この件は、僕も事件当初から気になっていたんだけど、JPFはやっぱりイラクで大きな活動をしていたか。これはとてもクルーシャルな問題です。
世論の後押しを受けて、「無鉄砲」なフリージャーナリストと、個人営業弱小NGOを叩く。そういう行動をとった小泉政権はつまり、「「危険地域」においては、それ以外の「噴きあがってる」連中には、勝手に死んでくださいよ。政府公認のNGOと大マスコミは別ですが」と言っていたに等しい。自国民保護という、政府の「通常業務内」の仕事は、自衛隊はもちろん、大マスコミやJPFといったあくまでも政府が統御可能な組織内の人にのみ適用されるもので、それ以外は「自己責任」ですよ、と。そして、それを明文化した「退避勧告先への渡航禁止」という、世界的にも例のない措置を、実施しようという声さえ上がっている。
3人の是非云々なんてちんけなことよりはるかに大きいところで、これはものすご~く怖い話に通じることに、皆さん気づいている? それがピンとこない人は、大昔に僕が書いたこの文章でも参考にしてください。本当に怖いのは、国際協力NGOや報道のような、政府から見てオルタナティブな活動が、政府やエスタブリッシュメントに抑圧・弾圧されることではなく(その場合には、抵抗する気力がわいてくるものだ)、オルタナティブな活動自体が、エスタブリッシュメントに、「知性」に、ハイジャックされ、取り込まれることなのだ。
え、気にならない? 別にいいじゃん? そこまで政府やこの世界の「支配層」(それは、形を変えながら、厳然と存在する)を、信用できるんですか? いつまでも永久に「内側」でいられる自信がおありなんですか?

それから、相も変わらず「冬山登山論」を言う人へ。
その主張は間違っているわけではないが、イラクという山は、「登山者の国籍によって吹雪の程度が変わる」おかしな山なのです。「日本人に対しての吹雪」を強めたのは明らかに、NGOやフリージャーナリストでなく、自衛隊と小泉政権の態度です。幸いなことにまだ致命的なものには至っていませんが。そして、その「比較的緩やかな吹雪」をNGOほかの積み上げで作ってきたおかげで、自衛隊はまあ何とか無事にやっている。繰り返しになりましたが、そこのところは忘れちゃいけないし(だからこそ、僕は「逢沢身代わり案」を主張していたのです)、それを棚上げにして、外務省職員という身内の苦労ばかりを「不眠不休でがんばったんだ」なんていう発言は、フェアではないと思うわけです。

ふぅ。論点が相当多いので、本題に入らずにここまで長くなっちゃいましたね。
さて、次のエントリではいよいよ「自己責任論」、そして「自己責任論」が金科玉条と化した社会というものの意味について、真っ向対峙しなければならないのか。

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忙しい中書いたログが消えた

・・・

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April 15, 2004

ちょっと今日は時間が取れません

あまり実質的なことは書けないのだけれど、後追いだけ。
昨日予告したテーマを展開する余裕はありません、すみません。明日かけるかな?

ご存知の通り、ようやく3人が解放されました。
しかし、また2人新たな人質を取られている。フリージャーナリストとNGO。捕まるのがこういう人ばかりというところを見ると、僕などは、いかに大手マスコミが「守られた」環境の中でだけ仕事をしているのか、痛切に感じてしまう。イラクでは、サマワの宿営地で怯えながら、日本では記者クラブで寄り集まりながら。それを補うためにフリージャーナリストから記事を買い叩いている大手新聞が、「ジャーナリストにも自制心は必要だ」などと書くと、やりきれない空々しさを覚える。

拘束されたうちのジャーナリストの方は、一部ではよく知られた東長崎機関のメンバーであるようだ。このページ(「人間の盾団の裏側」)、見たことない方は、一度見る価値はあると思うので、見て欲しい。僕は、こういう突き抜けた感性が、戦争(および戦争を語り始めると元気になっちゃう現象)を無効化するには、効果的なあり方の一つだと思うが、そう思える人はなかなかいないかもしれないね。

@nifty:NEWS@nifty:伊人質殺害、政府の撤退拒否支持…野党が結束呼びかけ(読売新聞)

イタリアは、昨日の僕の予想に反し(いや、昨日の時点では実際にそうだったのだけど)、人質の一人が無残に殺されたのを受けて、野党も態度を硬化させてしまった。これは現時点では止むない。ヒステリックなずぶずぶ路線が始まらなければいいが、まあ、大丈夫だろう。

3邦人が解決されたとは言え、僕らに突きつけられたことはむしろ、ここから始まる。
「自己責任」。この、この一週間やたらに耳にしたネオリベラルな時代の合言葉について、このブログでも、何らかの発言をしなければならないと感じている。もう少し待ってください。とりあえず、江川紹子さんのこの文章がよくまとまっているので、何らか考える種にしていただけると幸い。ただし、この段階に止まる限り単なる素朴なヒューマニズムの域を出ないようにも思う。

そこで参考になるのが、今日久しぶりにすんごいタイミングで出たビンラディン(もしくはそう称する誰かさん)の声明。いつもながら、含蓄のある表現があったんだけど。正確には忘れたがこんな感じ。「欧米の国々よ、安全が脅かされ、恐怖に怯えたことだろう。しかし安全はあなたがたの独占物ではない」。染みるでしょ? そうでもない? そうですか。僕は随分染みましたが。
この辺と、「自己責任論」の爆発をつなげていくと、昨日から僕がもぞもぞ考えているラインでの世論の現状分析に近づいてくる気がする。が、とりあえず、今日はここまででご勘弁を。(あー、こんなに引っ張って大丈夫だろうか)

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April 14, 2004

他者の恐怖とのつき合い方

 繰り返しになるが、今回の事件で撤兵しないことを明言した政府の対応は、支持する。しかし、例の3人をことさらに非難することはしない、ただし、日本政府は逢沢身代り(誤解もあるのでもう少し適切な表現をすると、副大臣が自ら交渉に乗り出すということだ)も含め、もう少し体を張る姿勢を見せてほしい、誘拐犯に「足元を見られる」恐れはあるにしても、というのが僕の立場だった。つまり、完全に屈服するのではなく、交渉はありなんじゃないかという立場だ。それは確認しておく。

 それにしても、現在の「ネット世論」の状況には本当に驚く。自分の意見などはわりにモデレート&折衷主義的なものだと思うが、これでもかなり「左旋回」の部類に入ってしまう。ほんの少しでも「テロリスト&3人の黙殺」に反するような意見を表明したり、イラク人側の事情もある、などと書いたマスメディアは、「テロを容認」などと書かれている。この「テロを容認するのか」「テロリストと交渉するのか」というのは現在のところ最強の殺し文句で、これを言われると、みんな沈黙して、「テロを容認しているわけではない」と主張をブラすしかなくなる。

 この沈黙にどうしても違和感が残るので、あえて書く。もっともっと熟考して書かなければならないところを、あえて素朴に書く。

 テロを容認、って・・・容認といえるのかどうかはともかく、自分がイラクに住んでいたら、誘拐犯や自爆テロリストといった行動をとったかもしれないor少なくともテロリストを幇助したかもしれないという意味で、彼らの行動は理解を越えたものではない。
 そりゃもちろん僕だって自分がテロリストに殺されるのはいやだ。誘拐されるのもいやだ。続発されるのはいやだから安易な屈服はやめてほしい。テロリストなんていなくなればいいに決まっている。しかし、逆の立場に生まれ出でてしまった場合のこともまた、必ず頭をよぎる。

 だって、考えてもみてちょうだい。アメリカ軍は、民間人4人が殺されてその遺体が損傷されたら、その犯人を炙り出すためにファルージャを包囲して、アパッチヘリで蹂躙することだってできる。しかし、モスクに爆弾落とされて40人の民間人が殺されて怒ったイラク人が、シンシナチを包囲して砲弾を撃ち込むなんてことは、いかな妄想癖のあるイスラム原理主義者にも思いつかないだろう。
 これほどの突飛な想像をしなければならないほどの圧倒的な不均衡がある「戦争」。これだけの不均衡のある相手に対して一矢報いようとする連中がいるとすれば、「敵国人の誘拐による揺さぶり戦術」なんて手段は可愛いもんだ。テロに狙われる側の世界にある日本人の一員として、「テロ撲滅」をしてほしいのは当たり前の話だが、とりあえずはこの圧倒的な不均等を前提にしないと話にならない。

 問題は、このイラク人の「噴きあがり」にわずかなりとも想像力を働かせて交渉の道を選ぶのか、リスクの完全な殲滅を目指すのか、である。それとも、「あー、どうせ敵わないんだから、とっとと降伏しちゃいなよ、殺された連中は運が悪かったんだよ、こんな町に生まれついたあんたらの運が悪いんだよ」と「良心的」に語りかけるのか(この第三の立場については、次の投稿で詳細に検討する予定)。

 「暴力の連鎖」「憎しみの連鎖」を「容認」したくはない。どっちかが断ち切らなければならない。しかし、それを断ち切る全責任が、どうしていつもアメリカやイスラエルの側ではなく、イラクやハマスの側にばかり押し付けられるのか。「負けたほうが/弱いほうが降伏するのは当たり前」だからなのか。
 それは、倫理的にどうなのか、ということ以上に、「暴力の連鎖」を断ち切るプロセスの上で、本当にプラクティカルに最有効な手段なのか。

 確かにテロは怖い。しかし怖いのならば、相手を殲滅することを考えるだけで、別の対処の仕方を一顧だにしなくていいのだろうか。絶対的な他者との接触が常に恐怖と隣りあわせだというのならば、「恐怖に踊る」のではなく、「恐怖を飼いならす」ことも考えなければいけないのではないかと思う。

 そんなことを書くと、今のネット世論では、「甘い」と言われるだろう。平和ボケの日本人と言われるだろう。だが、本当にそうか。平和ボケしている(正確には「していた」)のはどっちだ?
 他者とのヒリついた接触を日常茶飯事にしてきたヨーロッパは、はるかに他者の恐怖を飼いならす術を洗練させているように思える。列車テロを受けたスペインには撤兵を考慮する政権が誕生した。つい先ごろ4人が誘拐されてやはり撤兵を迫られているイタリアでは、(EU中でうざがられている極右の)ベルルスコーニは「初志貫徹」を明言したが、野党は日本の民主党とは違って明確に撤兵を要求しそうな雲行きだ。ちなみに言っておくと、ご存知のとおりスペインはここ数十年来バスク人過激派とつき合ってきた国だし、イタリアはバルカン情勢が危うくなれば、数千人単位の難民船が毎晩アドリア海を越えてくる地政学的な位置にある。他者とのヒリついた接触には、アメリカの数倍慣れている。その恐怖の飼いならし方、他者への大人の対応も知っている。だからこそ、実際に撤兵するかどうかは別として、さまざまな国内的議論が生まれ、事態を沈静化するためにさまざまな交渉のボールを投げかけはするわけだ。安易な屈服と、恐怖の殲滅の間に、いくつもの交渉の余地やグレイゾーンがある(それはたいてい、「カッコよくない」ことだ)ことを、それが実はもっともコストのかからない「平和」の取り戻し方だと言うことを、彼らは知っているように見受けられる。それはやはり「民度の高さ」と言っていいものだろう。
 それに比べれば、むしろ世間知らずで平和ボケなのは、二度の世界大戦中も本土が攻撃されるなどと言うことは想像さえできず、「たった一度」首都と商都が「攻撃」されただけで、見るも無残なヒステリーを起こしてしまったアメリカのほうではないか?

 ヒステリーを起こして恐怖に踊り、しかしその割には圧倒的なオモチャを持ってるもんだから、恐怖の源たる他者を殲滅することだけしか考えないアメリカ、そしてさらに、そのアメリカを「国際政治のリアリティを知る大人の国」とみなして、「断固たる対応」をやたらに尊ぶこの日本のネット世論は、「妙にわけ知り顔にコブシを振りかざして偽悪者ぶってみる、大人になりたくて仕方がない思春期のガキ」のように見える。「大義なんていらねえよ、交渉なんていらねえよ、要は力だ」ってあんた、「ティターンズは力だ」のジェリド・メサか。(そうだ、Zガンダム知らない人にはさっぱりだろうけど、これからこれをジェリド・メサ現象と呼ぼう。ティターンズの主力はみなアメリカ人という設定だったし。)

 あ、そうそう、そう言えば一連のブログの最初に書いたように、今回こういう噴きあがりは、どんな結論を出したものであっても尊重するんだっけな。というわけで、ここまで書いといてなんだが、ジェリド・メサ現象のほうは実は今回の主たる批判先ではない。というか、実はネット上のジェリドくんたちは、そのうちに「窮鼠かえって猫を噛む」ということわざを覚えて、もう少し成長してくれるんじゃないかと、淡い期待をかけている。

 今それよりも問題にしたいのは、ジェリド的な噴きあがりに気圧されて、素朴な善意を捨ててしまったもっとフツーの人たちだ。そこまで噴きあがってない一般の世論は、この事件の渦中でいま、戦後民主主義的善意→「いきなりヒリついた外界を見せられちゃってビビってしまい、リスクを負った「正義」を嘲って切り捨てた上で、守ってくれる強そうなことを言う国/人の下に逃げ込む戦略」というような展開を迎えているように思う。今日は実はこちらのほうをメインに、ちょっと書きたかったんだけど、ここに来るまでにあまりに長くなったので、明日の課題にします。あー明日書く時間があればですが。

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April 13, 2004

息切れ・・・

しましたね、私も多くのブログもマスコミも。

 そりゃ、そうか。「まだ24時間はヒリつく」どころではなくなりましたからね。ただ、自戒を込めて、「ヒリつきを飼いならす」のと「もう疲れたので見なかったことにする」のとは、大きな違いがあると、こそっと書いておきます。

 おそらくもう長期戦になるでしょう。もう3邦人の問題を単独で言っても意味がなくて、一連の数多くの外国人人質とファルージャ包囲戦の長々とした展開の中で、どう転がっていくかという次元になってきた。

 もう犯人側も組織の末端の一時的な感情に駆られて殺害する、というようなことはなくなったと見ていいだろうし、いずれは3邦人も含めて多くの人質が無事に解放されるでしょう。
こうなると、こうした長々とした展開の末に、どんな事態のフレーミングが起こるのか、ということに僕の関心もシフトしてきた。

 ダラダラした展開に何も言うべきことがなくなったマスメディアは、週明けから公然と「自作自演説」めいたことが匂わされるようになってきている。僕自身は、「疑わしきは罰せず」というスタンスで、この段階では、白か黒かわからないのなら自作自演のラインは考えない立場だけど、その僕でさえ、「日本国民のイラク国民への謝罪」などというくだりが、「新たな解放条件」に加えられたのを見ると、「アラブのテロリストであれ、野盗であれ、いくらなんでもそんな実のないことを要求しないでしょー、そんなことにこだわんの、日本のサヨクだけだよー」という気分にもなってくる。
 その上、この事態の長期化の中で、それでもこの問題に注視し続ける人の大半はいまや、「プロ市民のおたおたぶりを嗤いたい」連中がほとんどということになっているように見える。首相官邸の前で叫び続ける人々に、シンパシーを抱く素朴な善意は、事件当初のインパクトが薄れるにつれて、ほとんど淘汰されてきてしまっただろうし。

 正直この展開のまま、あと1週間ぐらいたって航空自衛隊の輸送機で3人がアンマンに降り立ち、その場で「アメリカ軍の暴虐と自衛隊の撤兵」を声高に叫んだとしたら、日本の「市民運動」はその時点で息の根を絶たれるでしょう。自作自演説が一斉に本人に対して向けられ、ヒステリックなお仲間たちの反論がむなしく宙に浮く。そんな絵が思い浮かびます。
 確かに、さまざまな問題を60年間健忘症的に回避してきた結果として、このような「市民運動」をめぐる状況も生じているわけで、一回そこにケリをつけなければならないのは、確か。そのまたとない機会を今私たちは生きているわけだし、そういったことについて真摯に考える機会になったのだとしたら、この人質事件も無駄ではなかった、ということになります。

 しかし、「プロ市民を非難する」側も「嗤っている」だけで、真摯に状況に呼応しているようには、とても見えない。迷宮旅行社によると、藤原帰一氏は、

日本は〈平和〉という色眼鏡をもって世界を見る状態から、一転して軍隊に対する希望的観測でものごとすべて見る方向にひっくり返っちゃったんですよね。軍隊なかったら平和になるんだっていう極端な平和主義が裏返しになったみたいなね。世の中は危ないんだからガツンとやるしかないっていう。これは逆の軍事崇拝みたいな感じで、教条的ですよね。
…憲法をベースにした平和主義があまりに実情と離れてしまったため、逆に軍事力に対する過度の楽観主義が広がっちゃった

と書いているそうな。この指摘は、重く受け止めなければならないでしょう。

 「世論を逆転させるには、ファルージャを包囲してる米軍が、人質もろとも「誤爆」しちゃうぐらいのことがないとなー」なんていう不謹慎極まりないプラグマティズムは、ぜひとも封印しておきたいものです。


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April 11, 2004

まだだ、まだ終わらんよ

ありゃりゃ。
先の記事を投げてすぐに、このニュースを見た。

asahi.com : ニュース特集 : イラク邦人拘束

「イスラム聖職者からの呼びかけで」ってホンマかいな。イランルート、あるいはシリア(ヒズボラ)ルートを使ったのだろうか? これが本当なら、日本の外務省の大金星だけど、現時点では今ひとつ信用できない。

外国人30人を人質に? UAEの衛星TVがビデオ放映

こんな意味不明な記事も出ていることだし、とりあえず僕は、まだ少なくとも24時間はヒリつきが続く。

それにしても、ヒリつき始めると自然に「富野節」が口を衝く、この平和ボケの団塊Jr世代、何とかならんものか。

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どうして誰も逢沢身代わり案を言わないのだろう?

 先方の予告期限一日を切って切羽詰る中、確かに技術的に実現困難なのはわかるが、「人質交換」の呼びかけだけでもするべきだ、の声があがらないのは不思議でならない。
 マスメディアはおろか、ずいぶんサイトやブログも見て回ったが、同じことを言ってるのは、masa-nさんのところだけだ。

 そんなに阿呆なことを言っているかな? そうは思えないんだけどな。もしや上から下から、この可能性さえも考えてないのかと思って、首相官邸から外務省から各種報道番組まで「身代わり案」について軽くメールしてしまった(笑)
 ブログ開始早々「プロ市民」扱いされることもなんなので一応言っておくと、こんな大規模に公的機関に意見メールを出したのは、まったくもって初めてのことである。(単独の対象に対しての意見メールは2~3回経験があるが)

 撤退が下策だと考えるのは、ここに書いたとおり。米軍に泣きついての救出強行--それとて、犯人を特定できれば、の話だが--がそれ以上に望ましくない選択肢であるのは言うまでもない(アメリカに対しての巨大な借り+一般民衆レベルのイラク人に、やはり米日は一心同体だと思わせてしまう)。

 その限られた状況の中での「逢沢身代わり」案であるが、これは、あくまで第一義的には国内的な視点からの発想である。言い方を変えれば、政府と(自分を含む)国民の間の信義/契約に関する問題である。

 撤退もダメ、突入も厳しいとなれば、どうしても我々は「退避勧告無視してイラクに行った連中の自業自得だ」という投げやりな結論に逃避したくなる。しかし、それで本当にいいのだろうか?
 確かに僕自身、多くのウェブ世論と同じく、イラクのような国での「民間支援活動」の実効性には、多少の疑問を抱いてもいる。しかし確実に言えるのは、彼らの活動は当地の親日感情醸成にわずかなりとも資するものであった、ということだ。極言すれば、サマワで自衛隊が今のところ戦火を交えなくて済んでいるのは、長期間にわたる日本人による(欧米と比べれば一応中立的な)「支援活動」--それには、80年代以前のODAも含まれる--の賜物とも言えるのである。
 福田や小泉がいかなる詭弁を弄しても、自衛隊派遣がそうした活動を困難なものにし、ひいては今回の最悪の展開まで惹起したということ、そして当の自衛隊自身は、そうした活動の蓄積のおかげで何とか「平和的に」駐留できている、という事実は否定しようがない。
 今回のようなリスクがありうるとわかった上で、それでもそれに上回るメリットがあると天秤にかけて、自衛隊派遣は政治決定されたはずだ(本当はそんなこと考えてもいないだろうが、少なくとも筋論では)。だとするならば、そうした民間活動家を危機に陥れた責任を政府が取らなければならないのは、当然の理であると考える。それが政治というものだし、もっと一般的にいえば、「上に立つ者」の身の処し方だ。

 思考停止した「憲法を守れ」論者を別にすれば、われわれが問うてきたのは、「政府は本当に派兵に伴って国民の生命を危険にさらすリスクをわかっているのか」「危機が現実のものになってきたときに、責任をとる覚悟はあるのか」ということだったはずだ。その命題が今日、これほどまでに鋭く突きつけられているのだ。

 もっといいアイディアもあるのかもしれないが、とりあえず現時点で僕が思いつくもっともマシな「政府の責任のとり方」「覚悟の示し方」が、逢沢身代わり(を少なくとも呼びかけること)だ。
 そんなこともできないというのであれば、僕は、そんな国家の国民をシコシコ税金を払いながらやっていたくはない。
 とりあえず、最低でも、逢沢がアンマンにいるのは我慢ならない。バグダッドに行けよ。

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April 10, 2004

久々に「噴きあがって」はいる私ですが

人質事件以外のウェブもチラホラ覗いてはおります。今日のJリーグは見なかったけどね。

Dear KAZU カズへの手紙。 (Number) - goo スポーツ

トルシエとカズがこんなに高く評価しあっていたというのは、端的に驚いた。
カズゆかりのサッカー関係者に、彼宛の手紙形式の記事を書かせて、カズに返信させるというこの企画は、全体的にとても面白い。ナンバーという雑誌が、いいほうに転がった(最近では珍しい?)好企画だ。人選も渋い(「ジェノバダービーを戦った」という縁でグーリットに頼んだのは無理筋だったが)。ユーリッチ(クロアチア時代のチームメイト、元横浜マリノス)とのやり取りにも、感じるところがある。
自分も30代に足を突っ込んで、少しこういうのに対する感じ方も変わってきたか。

サッカーといえば、フォローできてなかったが、今週半ばのチャンピオンズ・リーグ準々決勝にはたまげた。
ポルト、デポルティーボ、モナコ、チェルシーの4強って、チャンピオンズ・リーグの一次リーグの組み合わせにしたっておかしくないぐらいの地味な顔ぶれではないか。それかUEFAカップの4強。

レアルを追い出されたモナコのモリエンテスが、古巣(正しくはレンタル元だが)相手に大立ち回りを演じたのには、アンチ・メジャー、反独占資本とこぶしを突き上げて快哉を叫びたくなる気分がなくはないが、だがしかし。シェヴァもヴィエイラもネドヴェドもラウルもニステルローイもロナウジーニョもいないCLの大詰めに、単純に「今年はつまんねーなー」と感じてしまう素直な自分がいるのも事実。資本はかくも、身体的な快楽に浸透しているのだ。これを「イデオロギー」で断ち切ろうとするのは難しい、というか、この身体的な快楽を「イデオロギー」で断ち切ろうとすることをすなわち、ファシズムと呼ぶ。

願わくばせめて、中途半端にスタンフォード・ブリッジのチーム・アブラモビッチが優勝することのないように。どうせ贔屓のヴェロンは故障中だしね。
僕がバーミンガムにいた当時は、デサイーとルバフの鉄壁(だったんだ、これが)コンビにデシャンが加入し、ゾラとT.フローの史上最大凸凹ツートップになぜかウェアが割り込む(こいつはサッパリだった)という時代で、結構好きなチームだったのだが。そういや、アストン・ヴィラを破ってFAカップを取ったのはちょっとムカついたっけな。

なんとなくポルトが優勝するような気がするな、今年は。優勝の暁には、お気に入りのマヌエルでポートワインでも飲むか。
あ、そのころには程なくEURO2004も始まるのか。できすぎだな、こりゃ。

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この3日間、時間が経つのが遅い

ブログや、各サイトでの「噴きあがり」(先に書いたように、どんな結論であれ、きちんと考えた結果のものでありさえすれば、今回僕はそれを肯定します)とは裏腹に、マスメディアではわりに静かな気がするんだけど、どうしてだろう? それほど視聴者の現実感を掻き立てにくい=特番打っても数字が取れない事件なのだろうか?

好き嫌いは別として、
勝谷誠彦の××な日々。

いずれにせよ今後何十年もの「日本人の価値観」を問う踏み絵の48時間がこれからすぎていくことであろう。

のヒリついた感触は理解できる。3日という、それなりに長くそれなりに短い時間が設定されているだけに、単発の殺傷テロが起こったときよりも、遥かにヒリつき度が大きい。

今回あの3人がかかる行動をとらなければあるいは「自衛隊は撤退できた」かもしれないのである。しかし3人がテロリストに関わったために自衛隊の撤退は「テロへの屈伏」を意味することとなりこれで退路は完全にたたれたのである。

これもまったく同感である。

事件の「エンディング」に関しては、
九十九式

の整理がありがたい。それぞれのエンディングの効果の解釈はほぼ同意。
ただ、僕は、「撤退せず、人質が殺害された。ノーマル・エンディング」に、小泉政権への支持率低下を最大限防ぐオプションとして「逢沢外務副大臣との人質交換」を加えることを提案してあげているのだ。「小泉政権のために」。あーなんて思いやりのある・・・(笑)
(もちろん、人質交換のプロセスを通して、「撤退せず、人質の救出に成功した! 良エンディング。」に向かう可能性は高まる効果も期待できるが)

なぜ、小泉政権に持ってもらわなければ困るのか。いや、むろん小泉政権など本当はとっとと退陣してほしい。それはそうなんだけど、この大嵐の結果としての総選挙で民主党政権が成立して、「それでもオラが村に道路を引くために○○先生にがんばってもらわにゃ困る」の投票行動が全否定されるのが、今はまだ困るのだ。現時点で小泉政権が退陣・総選挙となると、実質的には選挙で負けるのは、自民党の中でも、体力の弱ってきた橋本・亀井派抵抗勢力となろう。ネオ・リベラル路線の世界的なほころびが見えるまではあと数年かかるだろうから(すごく楽観的なシナリオだが、その時点で民主党の体質転換と自民党「保守本流」の復権が一応期待できる)、それまでの繋ぎとしては有効な「鈍重な守旧派」が壊滅してしまってはまずい。今の本題からは激しく脱線するので詳しくは書かないが、この辺の僕の主張の含意は、「日々こんな風に生きてみた」からお付き合いくださっている方には、ご理解いただけると思う。

確かにこの3日間のヒリついた事態は、日米関係の再構築を含むこの国の進むべき道の模索の一環である。しかし主戦場は、オデッサではない、宇宙だよ。いや違った、イラクではない、経済・労働・社会保障だよ。
「戦いはこの一戦で終わりではないのだよ」

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April 09, 2004

これはつまり、ハロプロがジャニになりたいんだね。

@nifty:Sports@nifty:ハロプロ“金の卵”発掘へ(スポニチ)

一にも二にも、「モーニング娘。」を越える次世代ブランドを作れるかどうかにかかっているでしょう。まず無理でしょうが。「あぁ」だの「ZYX」だのでは、話にもならない。

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人質事件補足

インフォシークニュース > トピックス > イラクで日本人拘束 > 小泉最大危機、政府は「撤退する理由ない」

この記事は最後のくだりがちょっと面白い。

 

ここに、興味深い事実もある。平成5年のカンボジアPKOで、日本人文民警察官が殺害された直後、宮沢内閣の郵政相だった小泉首相は記者会見でこう語った。

 「カンボジアは内戦に近い状況だ。(PKO部隊などの撤収は)これからの進展を見て十分考えなくてはならない。派遣された要員は命まで捨ててとは考えていない。(部隊撤収で)国際的非難を浴びても、日本は原点を忘れてはならない」

昔の記憶を掘り起こしてみると、90年代前半の「変人」と言われて無謀な総裁選の挑戦を繰り返していた当時の小泉には、確かに外交的・軍事的なタカ派という印象はない。郵政三事業民営化がライフワークと公言していた当時から、市場化・プライバタイゼーションを強く訴える「ネオ・リベ」というイメージは強かったが、少なくとも「ネオ・コン」という印象は記憶にない。
いつから彼はここまでずぶずぶになっていったのだろう。あるいは、アメリカ(ブッシュ政権)に何を握られているというのだろう。そして、何を怖れているのだろう。

撤退する気はさらさらないのだとすると(いくらなんでも、「この2日で状況が変わった。サマワが戦闘地域になった。イラク特措法にのっとって撤退する」と言って面子を保つのは無理筋だろう)、逢沢外務副大臣を身代わりにして捕虜交換するのが、現実的に可能な一手だとは思うが如何。
さすがに外務副大臣を出せば民間人3人を解放するだろう。よど号事件の漢・山村新次郎よりは遥かに生還の確立が低いだろうけれど、申し訳ないが逢沢先生には火炙りを覚悟いただくとして。
少なくとも、「政権の責任」としてそのあたりのことまでは踏み込まざるを得ないのではないだろうか。
(逢沢副大臣は現場で指揮をとる必要があるというのなら、山拓なんていう最適任者を送ってみてはどうだろう。無職で責任のない立場、なおかつ首相の親書を持って北京に行くほどの盟友中の盟友。これほどの人選はないように思うけど)

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「噴きあがってみる」ことについて

@nifty:NEWS@nifty:即時解放を要求 福田官房長官(共同通信)

どうしても「だからどうなの」って感じにならざるを得ないので、イラクのことはできる限り話題にしないで来たが、さすがにこれは。
ちょっと記憶がないぐらいヒリついた事態だと思うのだが、福田は予想以上に余裕で会見乗り切っていた。ちょっと質問の質が低すぎて萎える。

案の定、2chの中東情勢版あたりでは、「自作自演」「自業自得」のオンパレード。まあそういいたくなる気もわからなくはないし、これで「屈し」たらゾロ日本人が狙われるのは間違いないところなのだが、まだまだ素朴な善意に満ち満ちている非2ch世論が、虐殺される3人の絵に耐えられるかどうか。ただ、耐えられなかった結果が、9.11後のアメリカのような集団ヒステリー方面に行く可能性も高いだろうから、小泉としては割と出目のいいギャンブルだと思ってるんだろうな。そういう小利口な計算をしてることが透けて見えるので、やはりあまり気分がよろしくない。
ならばと、クウェートあたりまで引く振りをするのも一手だとは思うが、撤兵ぐらい「主体的」にやってもらわないと、「国民」の一人としては立つ瀬がない。

つーわけで、どっちもどっちの選択という結論にしかならない・・・となると自然と、「答えの出ない/手の出しようもない問題に噴きあがるよりは、斜めに構えてたほうがいいだろう」という処世術になってゆく。リアルでもウェブ上でもどちらでも。

こうやって日々政治的に去勢されていくのは当然の成り行きで、それ自体は肯定するも否定するもないものなのだけど。確かにイラクやパレスチナのことでは噴きあがらなくてもいい、別に。
しかし、いつか政治的な判断をしなければならない事態が自分の身に降りかかってきても、それに気づかずにぬぼーっとしてるなんてことになるのを避けるために、イラクみたいな「遠い問題」だからこそ安楽椅子から「噴きあがる予行練習」をしといてもいいのかな、とも思う。少なくとも、「噴きあがる」ことを過剰に揶揄するオリコウさんな傾向にはあまり与したくはない。やはり、時々は無い脳みそをふり絞って、カッコ悪く右往左往してみる必要があるのだろう。

こんな切羽詰った事態になったとき、自分にはとてもじゃないけど真っ当な介入をするだけの力が備わってないなーなどと凹んでいたときに、件の拘束事件を聞き、激しく思考が脱線した深夜。

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April 08, 2004

4・7 これは、喜ぶべきことなのか?

武蔵大学での初講義のあと、博士課程の単位取得退学届をとりに、駒場へ。

ここで数年ぶりに、「新入生歓迎」ビラを手渡される。しかも複数。女子グループからバドミントンサークル、男子から武道系の部活。

週末の効果が早くも?

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4・3/4 禁断の箱

めっちゃ久しぶりに洋服を買う。
もちろん、ユニクロでTシャツや下着をを買う(補充する)というレベルのことは、普通にするわけだけど、数万単位以上の予算を持って、時間をかけてショップで物色する、ということなど、ここ数年来の記憶にはない。99年のクリスマスに、カナリア諸島でお買い物して以来か?

今回お世話になったのは主に、柏のステーションモールの中に入っている、アドルフォ・ドミンゲス。
「(気に入った服を手にした客に向かって)これはちょっと違いますよー」と歯に衣着せずおっしゃってくださり、「自分の趣味押し付けますから」と宣言して、一人で選んだのでは絶対に手にとりそうもない「一見ピンとこないんだけど着たら確かに似合う服」を次から次に提案してくださる店長さんに、夫婦で長々3時間以上も時間を使わせる。
こういうプロフェッショナリズムは、心底うらやましいし、心地いい。先方も、この3時間をなかなか楽しんでくださったようで、うれしい。

帰ってきてからは、開かずの箱を含め、ワードローブを、これまた数年ぶりに総ざらい。これほど徹底的にやるのは、98年以来ぐらい? おかげさまで週末が丸々つぶれる勢い。
今では存在すらも忘れた服が多数出てきて、たかだか6年前には、ウエスト云々以上に、こんな華やかな服を着れてたのか、と愕然。そもそも、これほどまでに急速に「カッコ」に対する関心を失っていたとは。

春だし、タンスの奥底から蘇った服で、少しは若作りしてみようかしらん。


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4・2 いい加減やめてくれませんか

昼間に、上野の大先輩に聞き取りを済ませたあと、さあ、そのメモを満喫で打ち込んどくかね、と思いつつ、結局マンガを読んでしまうダメ界隈。

矢沢あい『パラダイス・キス』読みふけってしまいました。
娯楽作品としては、文句なし。はまります。

基本的なストーリーをかいつまんでおくと、親の言いなりに主体性なく「受験」を目指すけれども、進学校では落ちこぼれなヒロインが、ふとしたことから、「主体的」に自分の目指すものを追い求めているファッション専門学校のブランド・ユニット「パラダイス・キス」に出会うことで、「自立」を成し遂げていくというお話。で、そのあとは、恋愛関係、人生関係、いろいろと。

このマンガは、このように「主体性」をめぐる内在的な困難から読み解くのが王道かもしれないけど、どうしても別のところが気になってしまう。
「主体性のない受験勉強」がダサくて、「主体性のあるデザイナー修行」がイケてる、というあまりにも平板な前提が。「主体性のある受験勉強」や「主体性のないファッション専門学校生」も出てこないでもないのだが、話の本筋にはなりえない。

その上、この物語は、絶望的なまでに「リアリティ」に富んでいる。「主体的」に自分の未来に向かって歩んでいる「パラダイス・キス」のメンバー4人は、財閥のご落胤だったり(母はモデル)、姉が著名なデザイナーだったりと、みなそれぞれにとんでもない「文化資本」を有したガキども。
単身赴任中の存在感のない父と、ヒステリックで虚栄心ばかり強い母を持つヒロイン・紫は、確かに彼らと比べれば「何もない」が、持って生まれた類稀な美貌で、何とかかんとか、イケてる世界のトバ口に立つことが許される。

しかし、その辺の絶望的な「リアリティ」は、矢沢あい読者にはおそらく見過ごされるだろう。
ほとんどの読者は、「紫のようにキレイじゃない」から、自分がそううまくはいかないことは理解するだろうけれども、だがしかし、そんな自分にも選べる「地に足のついた」未来を「主体的に」選ぼうとして、受験勉強という最高にダサい歩留まり戦略を徹底的に軽蔑し、「自分探し」を開始する者も出てくることだろう。
まあ、何のかんの言っても、歩留まり戦略の中で騙し騙し生きていくことに「流される」人間が確かに大多数ではあるだろうけれども、『パラダイス・キス』のような物語が相も変らず繰り返される状況では、その「チョボチョボ」な人生を肯定的に捉えることはますます難しくもなる。

「未来を選べ」という命令ほど暴力的なものはない、ということをそろそろ学ぶべく、あれほど大ヒットした『トレインスポッティング』を見直してみてもいいはずだ。

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4・1 東京メトロ

そういえば、こんな幸福な「民営化」もないわけで。
横浜市交通局が泣いて羨むぞ。

ところで、あのちょっと浮いたロゴマークには、まあそのうち慣れては来るだろうけど、"How could I go to H17?"と外人に聞かれて、"Ah, to Ueno, you should change at・・・"とすらすら答えられるようには、一生ならないだろう。
日本国と東京都のヒステリックな「Yo-Koso」だの「千客万来」だのもここまで来たかと感慨ひとしおではあるが、やはりコレはちとやり過ぎでしょう。僕の知る限り、ここまでやっちまった都市はない。確かに、プラハは、A・B・Cの三線だったし、ブダペストもM1・M2・M3の三線だったけど、これはむしろコミュニスト遺構というべきものだし。それにしても、駅にはしっかり固有名ついてたぞ。外国人観光客対策ならば、ワンデーパスとパスネットで十分だと思うのだが。
わかってることとは言え、G(銀座線)もT(東西線)もZ(半蔵門線)も、すべての路線が西からナンバリングされてるっていうのも、微妙に切ないし。

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3・30 北千住

わりと最近乗り換え頻度の高いこの駅なんだけど、今年の頭ぐらいから妙に「見せる警備」とやらの制服組が目立ってきてた。
でも、「主要ターミナル駅」とも言えそうにないこの駅で何を警戒?とよく友達と話していたのだけど、ここ最近警備が緩くなって合点。ここの警戒は、テロはテロでも、AはAでも、あっちの「A」だったのね。東京拘置所は、目と鼻の先だもんね。

この北千住駅の西口も、長年再開発が進行していたが、ついに荒川側の一角のジェントリフィケーションが完成。
駅ビルには、駅から直で入れるフロアに、場違いな「成城・石井」なんてできてやんの。目を輝かして薀蓄タレながら買い物をする母娘連れ(しかしファッションはしっかり足立流)とかいて、ちょっとビックリ。

とか何とか言いながら、自分もアメ横センタービル地下で買い忘れたタイカレーのペーストを購入。いつものメープロイ・ブランドだけど、グリーンに加えて、珍しくレッドも購入。

で、うち帰って早速、茄子・筍・赤緑ピーマンに鶏モモ肉のレシピで作ってみるんだけど、激辛のペースト(いわゆる「カー」)をいくら入れてもどうにも「レッド」に見えない。つか、グリーンカレーとの「色」の違いがわからない。
まあ、茄子の皮の色素が溶け込んで、どっちも汚い茶色に近づいているんだろうけれども、久しぶりに自らの赤緑色盲の気を意識いたしやした。(←これ、ホント。自然光の中ではまだマシなんだけど、蛍光灯の光の下では、ほかのみんなが「茶」と認識する色を、「モスグリーン」と称する傾向が異様に高いのです)

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3・28 桜も人ごみもおなか一杯

いつかはこんな日が来るかな、とも思ってはいたが、隊長様からの招集メールで、急遽これのお手伝いをさせていただく。(「変身」したかどうかは、ナイショ♪) 「希少動物」を守るため、春爛漫の上野動物園に出動いたしました。

しかし、こうゆうの、好きですよ。
「下町」なんつったって、以下に本物らしくつくろっても、それを商品化していくためには、フェイクやファンタジーな部分を持たざるを得ないことは言うまでもない。(たぶん「遠野」でも「バリ」でも同じね)
もちろん、それは「商業地区活性化」には必要なことだし、そういったファンタジックな形であれ、地元のアイデンティティが保存されていくのは素晴らしいことだと思うけれども、中にはそのフェイク具合に息苦しさや気持ちの悪さを感じ始める地元の人たちが出てくるのも当然の話。フェイクをフェイクとわかって商売してるうちはいいんだけど、お客さんのみならず、ノリのいい地元の人たちまで乗せられちゃって、商品として構築したはずの「下町」が何がしかの連綿と続いたオーセンティックなものだと思い込んじゃうような事態も、往々にして起こるのですね。

そんなことから考えると、「初手からフェイク」「日本全国どの商店街でも入れ替え可能」なために、オーセンティシティなんて発生しようのないこういう企画が地元から出てくると、ある種の気持ちの悪い「下町」言説への解毒剤になりうるわけです。ウチに対しても、ソトに向かっても。
それに、本当に「入れ替え不可能な地元アイデンティティ」なんていうものは、お仕着せで与えられた街のイメージの中にではなく、(グダグダなフェイクだと自覚してるが故に)ブーブー言いながらでも、みんなで新しいものを作っていこうという何らかの初発の共同性の中からしか、生まれ得ないものだと思うのです。

というわけで、もう少し継続的にこの企画には注目。(というか巻き込まれ?)


本日はその後、有楽町でのT君の送別会飲みで終電を逃し、上野に舞い戻ると、ここで案の定Mさんご一行様に遭遇。夜通し盛り上がる。

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April 07, 2004

3・27 桜の誘惑に負けずにお勉強

今日は、数年来関わっているCS系の研究会に、この有名人をお呼びして、お話を伺う。
う~ん、でも殺人的な忙しさの中お呼び立てしたのに、彼にはあまりフィードバックがなかったのでは?と余計な心配しきり。僕も含めて、割と同調的に場が流れてしまったのですよ。もっとねちっこいツッコミとか考えてくるべきだったのかもしれませんが。
その中で、なぜか参加してくださったの確信犯的アウトサイダーな質問が、実はなかなか切れ味鋭かった(笑)

研究会後の飲み会では、もちろんというか何と言うか、時節柄この話題で大盛り上がり。
と思ったら、上のブログのコメント欄で、すごいことになってんじゃん!

非常に素朴なことを言いますが。
僕は、このまったくスタイルも趣味も文体も異なるお二人を、端的に言ってどちらも等しく「好き」なんだなー、というのを改めて再確認しました。
コレ、釣りでもなんでもなく。「あえて」照れ隠しさえせずに。

何だよ、それありえねーだろ、っていう突っ込みが各方面から聞こえてきそうですが、とりあえず二者二様のお人柄から発せられる「誠意」を感じて、ちょっと久々に感銘を受けています。感銘を受ける以上の力は、あらゆる意味で今の僕にはありません。

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